「わたし「は」、」やる」

LB182

 

「わたしだけ、苦しいのかな?」

と、被害的になることで、何を守っていたのかな?

 

全然、楽しくないのに

そのループや、その孤独感に漂うことが

 

何かにのめり込み依存していくことよりも

 

とても簡単で

手軽な「酔い」。

 

自分が潰れないように

守ってきたものだったけれども

 

「わたしだけ」

と、思う気持ちは

 

実は、一番、わたしを追い込んでいく考え。

 

「わたしだけ、恐い」

「わたしだけ、寂しい」

「わたしだけ、辛い」

 

・・・本当にかな?

 

 

 

自分で自分に

「孤独であれ」

「疎外されろ」

と、言い聞かせているみたい。

 

 

 

誰かの言葉を気にし

気を使い

 

その言葉に一喜一憂し

顔色を伺い

 

あの人のために

 

誰かのために

 

その人の人生を生きていれば

 

何かに、自分の思うことと違うことが起きれば

「被害者」の目線で生きることは、簡単な無責任さ。

 

誰かのせいにすれば

責任は負わなくてもよくて

 

でも、逆に

自由を手に入れることは出来ない。

 

 

・・・

誰かの人生を生きて

嫌になったら

 

 

人を変えて

場所も変えて

 

 

何も無かったかのように

また、誰かの人生を生きる。

 

 

過去は

自由を無視した、わたしの人生。

 

 

わたしの、人生は

もぅ

 

 

責任を転嫁するものではなく

 

わたし「が」、誰かの人生を生きるのではなく

 

 

わたし「は」、わたしの決めた人生を生きる。

 

だから

 

わたしのやることは、わたしが決めて

 

わたし「は」、やる。

 

自分で決めたことならば

 

被害者になることも出来ないし

 

自分で決めたことならば

 

例え失敗しても

今なら「学び」に変えられる。

 

気付いていく。

気付かせてもらえる。

 

与えてもらえる。

与えていける。

 

愛を受け止め、受け入れる。

受け入れたら、何倍にもなって

たくさん、愛を与えたくなる。

 

そこに

「被害的」と、言う邪魔が入ったときは

 

「今、わたしは、自分の人生を生きていれてるかな?」

と、立ち止まってみよう。

 

フラワーガーデン 春