「フラワーガーデン春~message~」

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生まれてきて

女性として、生きてきました。

 

女性として、生きてきて

「よかったかな?」と、自分に問いかけると、涙が出そうになります。

 

半分は、幸せです。

女性の仲間の手助けが出来て

自分の成長に繋がる。

 

半分は・・・まだ、どこか

被害者という視点。

 

過去の傷というのが、明るみになってから、定期的なのか、胸が引き裂かれるように、苦しくなります。

 

9月になり、季節の変わり目。

台風や、遠い国での震災。

他の国からの、核の発射など、わたしにはどうにも出来ないのに、

「だからだよ・・・なんでこんな風になるんだろう?」と、頭の中での一人の会話が増えていきます。

 

わたしが、女性でなければ

起こらなかったことなのかな?

 

わたしが、女性でなければ

なにか、他のことが出来たのではないか?

 

わたしが、女性だから、だめだったのではないか?

 

と、自分に向けた自分を傷つける問いかけ。

 

自分が女性であることは

変わりないのに、何故か

その部分に対しての、エンドレスな問いかけは、とても苦しいな・・・と、少し気付きました。

 

自分自身の中に

「真ん中」があると確信しています。

 

女性ですが、男性でもなく

人であって

 

体ですが、感情でもなく

魂であって

 

黒いですが、白でもなくて

グレーであって

 

過去のことですが、未来でもなくて

現在であって

 

真ん中=中心の部分。

 

どんなに苦しくても

やさぐれていても

拗ねていても

 

泣いていても

怒っていても

笑っていても

喜んでいても

 

その、真ん中の部分と生きてきました。

 

それなのに、どうしても

人としていたいのに

女性であることを恨んで

 

体がついていかないのに

感情的になって

 

グレーなのに

黒くなろうとして

 

現在(いま)ここに、なのに

過去に行こうとして

 

人生のバランスのイメージは

わたしは水平です。

 

なので、左の方がとても重くて苦しいです。

 

左が重いと、感謝が出来なくなった

右上がり過ぎれば

「もぅ大丈夫」と、過信になってしまう。

 

バランスが悪く、どちらかにしかなれないのが、凄く苦しいな、苦しいなと思っていました。

 

自分の基板となっているものはシーソーのように、傾きがあって、いつもどちらかに揺れていて、それを止めよう!止めよう!と、力を入れすぎていたかもと、思いました。

 

止めようとすればするほど、揺れは大きくなり、酔いは凄くきつくなる。

 

どんなに、依存の物質が止まっても、自ら感情の「酔い」に行くのは、すぐには変われず、けれど気付くことができました。

 

 

たくさんの仲間が、わたしのバランスの左右にいて、わたしの見方次第で、良くもなり、悪くもなります。

 

本当に自分次第でした。

 

揺れててもいいかな。

と、思ったときに、少し真ん中で、留まる時間が増えてきました。

 

ずーっと留まることはないんだ。

 

きっと、それがわたしです。

 

やりたくない

けれどもやる。

 

行きたくない

けれども行く。

 

言いたくない

でも言う。

 

毎日、真ん中からの揺れは感じています。

 

その揺れることがあるからこそ、真ん中がとても大切なんだと思いました。

 

世界が良いのか

悪いのかも、わたしの見方次第。

 

わたし次第なんだなと、思えたら、久しぶり真ん中の自分に出会えました。

 

揺れているのは自分だけで

恐れるほどの、大きなことは起こっていない。

 

全ては、自分の内面で起こっていました。

 

自分に対する、負い目は

わたししか、気づけなく、これはある意味、わたしの一つのパターンなのかな?と、わかっただけでも、自分に優しくなれたように感じます。

 

やったことのない、自分に対する埋め合わせのプログラムの最初の一歩。

 

気づかせてくれたのは、仲間の中だから。

 

良いことも

悪いことも。

 

 

変えていく勇気に気づかせてくれる仲間に感謝です。

 

フラワーガーデン