「勇気のある声」

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「ここに居たくないな」

と、何度も思ったことはあります。

 

それは、家庭の中だったり

学校だったり

社会生活の中だったりと

自分が「安全」ではないと思う場所で思っていました。

 

その時に感じていた感情は

「不安」と「寂しさ」

 

表に出すのは「怒り」

 

そして「無関心」になる自分。

 

そこに、存在しなくてもいいと思っていたり

 

けど、逆に、認められたくて

もがいていたり。

 

 

今でも、朝目覚めた時に

「あぁ何だか今日は、仲間の中に行きたくないな」と、思うことはあります。

 

 

頭の中のセフルトークは

「誰かの声」で「自分」を攻撃し

 

「自分の声」で「誰か」を攻め続ける。

 

そして「ダメだった日」を

朝から頭の中で作り上げ

その通りに進むように、ダメな結果を追って一日を過ごす準備をする。

 

 

「ほら、やっぱりダメだった」

「こうなると、思っていたし」

 

その浮かんでくる声も、ずーっと頭の中で・・・誰の声なのだろう?

 

 

今まで、失敗はしてきたけれど

そんなに、ダメな人間だったのかな?

 

こんな声を掛けられたこと、あったかな?

 

 

あったのかもしれない。

 

遠い遠い、自分でも忘れてしまっている記憶の中に、あったのかもしれない。

 

けれど、それは過去に2.3回の少なさ。

 

でも、その少ない回数でも

自分自身は、とてもキズついて

立ち直れなくなりそうだったので

 

記憶を塗りつぶすように

お酒や薬で麻痺をさせてきた。

 

人の事をすることで、自分を見ないで済んできたのかもしれない。

 

感じないように、我慢もしてきた。

 

・・・フラッシュバックが、起きているんじゃないかな?

 

 

ある仲間のその言葉に

「そうなのかも」と、不意に落ちる瞬間がありました。

 

 

失敗を恐れたときに、誰かに言われた言葉が蘇って

 

何だか嫌な気分になる。

 

 

まだ、今日が始まってもいないのに、落ちそうな穴を見つめて前に進む。

 

そんな生き方をしてきたから

「10」のうち

「9」出来ているのに

失敗した、「1」だけが、自分の全てになっている。

 

 

「もったいないなぁ。」

 

 

今の、わたしならば、少しはそぅ思えるようになりました。

 

 

自分を責める声を聞きながらも

今の、わたしは

 

「そんなの、もったいないよ」

 

とも、聞こえてくる。

 

 

恐いなと、思いながらも

何かに挑戦したとき・・・

失敗しても、何だか大丈夫だなと思えたのは

「挑戦出来た自分」が、残っているから。

 

「勇気のある自分」が、居てくれるから。

 

 

乗り越えたとは

完成じゃなく、完璧じゃなく

 

その時に

 

とにかくやってみた!自分。

 

 

 

朝目覚めた時に

始まる、頭の中で作り上げるストーリーは

 

過去にどこかしらで経験した

嫌な思い出。

 

「今日を生きよう」

今に目覚める、朝の声かけ。

 

そして

「今日も生かされた」

今に感謝し、寝る前の声かけ。

 

 

誰も、わたしにネガティブな声かけはしていない。

 

それが、真実。

 

ネガティブな声かけをしてくるのは

 

過去のフラッシュバック。

 

 

「今日が、不安なんだね。」

「けど、大丈夫。」

「だって、みんながいるし、出来るんだよ。」

 

不思議と、勇気のある自分の声は

いつも幼く感じます。

 

 

いつの間にか、勇気のある

自分の内面と繋がろうとしているわたし自身がいました。

 

フラワーガーデン 春