空気の壁をよじ登って

 

人と関わることや、話をすることに「恐いな」と思っていました。
その人に「興味」を持つことなど、「私なんか」がしていいのかな?と、諦めていました。

相手と、自分の間に、何か見えない「空気の厚い壁」がある・・・

仲間から教えられたのは、「その壁に興味を持つ」でした。

「壁」に注目してみると、「恐さ」もあったし、「恥ずかしさ」もあったし、「悲しさ」も「寂しさ」もありました。
・・・全部良い感情ではないかも。

諦めや、自信の無さから、会話もコミュニュケーションも出来ない。

「空気の壁」は、厚くて高くて、見えないのに、人間関係での大きな障害でした。

けれど、孤独や疎外感が、私を薬物やアルコールに繋げてしまうのは、もぅ嫌でした。
「一人で生きられないのは、十分、分かっています。」

「空気の壁」なので、相手は見えます。
笑っている顔も、穏やかな顔も、怒っている顔も、泣いている顔も。

「関わる」前に、良い感情じゃないものを、認めていくことから、「関わり」を持ちました。
「恐いんだ、私。」
「恥ずかしいね。私。」

自分を認めることが、相手を受け入れる「容量」なんだな・・・と、思えたとき、その良い感情じゃないものを、ちょっと聞いてもらおうかな?
と、「関わる」ことの「恐れ」が、真逆の「勇気」に変わりました。

「空気の壁」なので、最初は相手の顔色を見て、相手の様子を伺って、気になって、ドキドキしながら声をかけました。

「断られたら、どうしよう・・・」そぅ思いながらも、空気の壁をよじ登って、乗り越えられたとき、「壁」だったものは、暖かい空気だけに変わり、穏やかな「安心」になりました。

「何が、私と相手を繋いだのかな?」

容量の空いた、心には「共感」という愛の言葉。

同じ空気、時間、空間。
同じ、経験、悲しみ、不安、寂しさ。そして恐れ。

分かち合ったうえでの「負」の感情は、「良い」感情に変身しました。

いつの間にか、その人との間にあった「壁」はなくなって、安心と安全を共有する「仲間」。

私なんかが・・・

私だから。
私なら。・・・出来る。

仲間と一緒なら「出来る」。
気づくのも、認めるのも、一人かもしれません。
でも、気づかせてくれる人がいて、認めることも、行動の一つ。

一人だったら、出来たかな?
・・・私は、一人だったら出来なかったです。

一人だったら、「共感」も「安心」も「安全」もなかったです。

「仲間」が居て、よかった。
そう思えるとき、「空気の壁」は見えません。

「しんどいな・・・うるさいな」
そう思えるとき、「壁」は高くなっていたりすることに、気づけるのも
「仲間」と居るから。

一人では、気づけなかった「いい所」「悪い所」。
一人で感じていた「嫌な感情」も、惜しみなく出していった後は、本当に欲しかった
「安心」と「安全」が手に入ると思っています。

それを繋ぐのは「共感」。

どんな気持ちにも寄り添うことが、暖かさと、愛なんだなと感じています。

 

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