最後にリラプス(再飲酒)したとき
「また、一からやり直そう」
とは、思いませんでした。
その前に飲んだときは
「また、一からやり直そう」と
思いました。
最後に飲んだときは
「やり直ししてるから、わたしまた飲むんだ。やり直しじゃなく、新しく生きなきゃ。」
と、やっと思い、今があります。
「もぅ、飲まない」
何度、宣言して、約束したかわからないぐらい。
アディクション真っ最中のわたしには、「約束」など守れないのは当たり前でした。
自分自身は、約束を守ってもらえないと、相手を責めて、相手に駄目だしばかりして、憎んで恨んでいたのにと思います。
「自分は、どうなの?」
と、相手を責めていながらも、心の中では、常に自問自答。
相手の出来ない部分を探しだして、どうしても自分の病気を隠したくなっていました。
自問自答が、聞こえなくなり、麻痺するまで。
そんな、自問自答が聞こえなくなるのに、お酒や薬物は、必要でした。
お酒や薬物は、自問自答が消え失せ、わたし自身が「駄目」なところを、見えなくしてくれました。
お酒を飲むこと、薬物を使うことを「正しい」と思わせ、「駄目」なところ以外にも、「大切な家族」や「人との繋がり」や「自分を大事にする」ことも、見えなくしてしまいました。
飲むことに、少しでも罪悪感が出ると
「元々、大切な家族や、人との繋がりなんて、目に見えないじゃん。」と、大声で心の中に、自分の声が聞こえてきました。
自問自答よりも、もっともっと悲しく強い寂しさ。
何度、やり直ししてもよいと思っていましたが、同じ結果なら、やっていることは変わらない。
だったら、どうしたらいいんだろう?
答えは簡単。
「新しい生き方をすればいい」
でも、とっても難しかったのは
「どうやったらいいの?」と、素直に聞くこと。
プライドや、恥や恐れから、なかなか行動することが出来なかったです。
「どうやったらいいの?」と聞いて、「そんなのもわからないの?」
と、馬鹿にされたことってあったかな?
馬鹿にしているのは、自分の中の自問自答の声。
「わからないことがあっても、いいじゃん」
「教わったらいいじゃん」
「新しい生き方ってどうやったらいいの?」
「生き方を変えようとしているんだもん。やったことないことをわかるわけがない。」
聞くことは、素直への第一歩でした。
素直さが、なかなか持てず、いつもカバーするようにお酒や薬物を使って、なんとか生きていました。
大丈夫なときこそ、自分に素直に。大丈夫じゃないときこそ、もっと自分にも相手にも素直に!
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