苦手なタイプがいたりすると、その関わりは自分自身の人生を邪魔する人であって、私自身、そういう人を切ってきました。
その人と関わりをやめて、子供のときによくやった「絶交」と言うものを心に決めて、いつのまにか消滅するような素振りをし、避けていました。
だから嫌いと思えば、離れ関係を絶ち、自分にとって都合よく動いてくれ、思い通りにいく相手とだけ付き合ってきたように思います。
けど、それを嫌いと思うことが、いつかダメなような気がして、苦手な人がいる自分を責めました。
それは、私自身が、人から嫌われたくないという恐さでした。
だから、嫌われないように気を使い、誰かの言葉や、いつしか誰かの表情で一喜一憂し、ハラハラドキドキの毎日。
その人が笑えば、私は穏やかで
その人が泣けば、なんとかしてあげなくちゃで
その人が怒れば、全部私のせい。。。
おはようの声が、そっけなかったらソワソワしてなにも手につかない
おはようの声が、明るかったら自分自身は落ち着く。
誰のための人生だろう。。。
私は、私として生きていなくて
私の頭のなかには、いつも他の誰かがいて
私の感情は、他の誰かに左右されて。
私が私自身のことを何も知りませんでした。
他の人のことは、いっぱい知っているようでも、それは私の妄想でした。
苦手な人との関わりは切っていたけれど、本当に苦手かな?
本当に?
関わり方を知らないだけで、嫌いというレッテルをはり、でも、気になって仕方ないのは、やっぱり、私は人と繋がっていたいんじゃないかな?
自分の感じたことは、自分のもの。
誰かの怒りや、恨みまで背負うことはしなくてよくて、私は私。
あの人が、泣いていたら
どうしたの?
と、声をかけ
怒っていたら
いま、とても苦しいんだろうなと、少しタイミングを待ち
笑っていたら
いいことあったのかな?
と、喜びを分かち合う。
そんなふうにしていったら
私が感じること、私が思うこと
私が見て、私が触って、私の感覚を大切にできるようになっていきました。
相手と、自分がごちゃ混ぜになっていた頃は、何が自分に制限をかけているのかがわからず、自分は誰なんだろうとさまよっている感じでした。
そこから勇気をだして、自分と相手をわける
自分を伝えることをし始めたら、初めて、私が私として、等身大で生きれるようになりました。
自分を伝えること=心をオープンにする。
こんなこと言ったら、傷つけるかな?
どんな言い回しなら、上手く逃げれるかな?
それは、相手に合わせた考え。
私を知ることが、人とのコミュニケーションの第一歩でした。
私を感じると、とても
いま、ここ!の時間に繋がるように思います。
私の朝の感情、仲間の中にいるときの感情、食事しているときの感情、家に帰ったときの感情。
そして、常に「いま。」
それだけで、私が私自身を確認し、人とのコミュニケーションの中にエネルギーと温かさを感じられるようになりました。
いま、瞬間、一瞬。。。
目の前の全ては、自分自身が素直に感じ、私の気持ちとして大切に扱いたいです。
フラワーガーデン
ハル
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