「voice」

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悲しくて泣くことでの涙
悔しくて泣くことでの涙

たくさん流した涙でも
自然と流れる涙が
本当の癒しの涙

幼い自分のことを思い出し 10代、20代のことを思い出し

蘇る自分の姿は
教室で一人
家族の中でも、一人

校庭では、友達は遠く
家の中でも一人でご飯を食べて

その時の感情を感じると
流れそうになるのは
苦しく悲しく寂しい涙

絶対泣かないと、思い出し感じながらも
その感覚を否定しようとする、今


優しい声をが聞こえる
傷付いている幼い心に
染み渡るように
赤く小さな火を灯すように
少しずつ少しずつ
暖かく広がり

絶対泣かない と、否定するのは
今なのか
幼いな心なのか

優しい声に耳を澄ませば

幼い自分の声が
内側で聞こえる

絶対泣かない
誰も守ってくれない

・・・でもさ 助けは求められたよ。きっと。

10代の自分の声が
内側で聞こえる

わたしは、みんなと何か違う

・・・それは、いけないことなのかな?

20代の自分の声が
内側で聞こえる

こんなはずじゃなかったのに

・・・本当はどうしたかったのだろうね?

「今」・・・きっと、全てが必要であると思え るなら、人生は必ず変わる。

そう感じたとき、無意識に
苦しくない悲しくない、寂しくない 涙が流れた。
呼吸は安定したままの 深い涙。

力を入れないで泣ける涙。
息を止める必要がない、思考から 心にやっと繋がって 一つの管になって 蛇口を少し捻ったように
溢れるというよりも
流れる涙。
我慢しないで泣くことの 字の如く 流れるまま。

目を覚ませば 不思議な昂りと
安心感。

地に足は付いている。
息は深くしていられる。
わたしの中にあった
癒されたかった
許されたかった
認められなかった
否定的な過去。

けれど

もう何をやってきたかよりも

幸せになることの方向を
地に足を付けて、呼吸をして
生きていく
未来へ。
自分に、ありがとう。

よく、生きてきてくれたね。
思い出す映像に
一人の自分はいるけれど
優しい声と共に

そのわたしの映像の主観から 周りを見渡す余裕が出来てきた。
見渡したら
クラスメイトも
家族も 仲間も結構、側にいたことが見えた。

固まって動かなかった 写真が
動く映像として
初めて、周りを見渡し

校庭でクラスメイトに本当は駆け寄ったとき

一人でご飯を食べていても
家族が帰ってきて 笑顔で出迎えたら、抱きしめてくれたとき

何も聞こえなかった無声ストーリーに
優しい声がメロディーになって

動き出した
音が帰ってきたよ
声が帰ってきたよ

聞きたくなかった
聞こえなくなってた

色んな音と声が
聞こえてきた

だから、ありがとう。

 

フラワーガーデン

 

「プラン」

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自分の計画をたてたことがないのに

思い通りにならないと

腹をたてて

イライラして

不機嫌

 

本当は全然間に合うことを理由に

「アレが出来なくなるかも」

「時間に間に合わなくなるかも」

とか

人に対しても

「あのとき、伝えたのに」

「言ったのに」

と、無駄なエネルギーを使って

毎日、イライラ。

 

どうして?

なんで?

 

の言葉は

問いかけじゃなく、攻める言葉になり

 

自分自身にも

なんなの?

どうしてなの?

 

こんなはずじゃないのに!

と、言葉で虐待。

 

世界は自分中心でしょうか?

家族はわたし中心でしょうか?

仲間はわたし中心に動いてくれますか?

 

わたし中心という

自己中心のエネルギーで

外に向けたら

その外部には、たくさんの人います。

 

そのエネルギーは、倍の力になって、返ってくるような気がします。

 

その力を

自分中心のわたしが、一人で

受け止めれるはずはありません。

 

逃げたくなります。

例え、言語でなくても

妄想という、わたしが作り上げた世界観で、もっともっと逃げたくなります。

 

・・・逃げるように

アディクションを使っていました。

 

 

自分中心なのに

わたしの人生を生きれない。

 

ひかれたようなレールも嫌で

けれども自分で決める自信もない。

 

死んじゃいたいな。

など、とりあえず言ってみるものの、それはお芝居のようで。

 

本当はどうしたいのかな?

 

 

・・・助かる方法はあるのに。

 

 

こんなの、気持ち悪い。

この感覚、くすぐったい。

 

どこで、何を感じてる?

いつも、感じてることを置いといて

「これは、何?」と、頭で考えていないかな?

 

体のどこで、怒りを感じるかな?

どこで、悲しさ、苦しさ、もどかしさ。

 

そして、体のどこで

喜び、楽しさ、嬉しさ。

感じるかな?

 

表面よりも

なんでも中身が大事。

 

大切なのは、自分の心。

 

本当は不安で

寂しくて

一人ではどうにもならいということを

助けて欲しいと言うように

まずは、自分の心に素直に。

 

内側から外側に向かう力ほど

自分の人生を輝かせる

有効なエネルギーは他に無いはずです。

 

それが、神さまの計画。

神さま、中心。

 

自己中心に生きていることは

自由を手にすることを拒んでしまっていること。

 

わたしが世界の中心ではないけれど

 

わたしの人生は、わたしが中心。

 

フラワーガーデン

「フラワーガーデン春~message~」

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生まれてきて

女性として、生きてきました。

 

女性として、生きてきて

「よかったかな?」と、自分に問いかけると、涙が出そうになります。

 

半分は、幸せです。

女性の仲間の手助けが出来て

自分の成長に繋がる。

 

半分は・・・まだ、どこか

被害者という視点。

 

過去の傷というのが、明るみになってから、定期的なのか、胸が引き裂かれるように、苦しくなります。

 

9月になり、季節の変わり目。

台風や、遠い国での震災。

他の国からの、核の発射など、わたしにはどうにも出来ないのに、

「だからだよ・・・なんでこんな風になるんだろう?」と、頭の中での一人の会話が増えていきます。

 

わたしが、女性でなければ

起こらなかったことなのかな?

 

わたしが、女性でなければ

なにか、他のことが出来たのではないか?

 

わたしが、女性だから、だめだったのではないか?

 

と、自分に向けた自分を傷つける問いかけ。

 

自分が女性であることは

変わりないのに、何故か

その部分に対しての、エンドレスな問いかけは、とても苦しいな・・・と、少し気付きました。

 

自分自身の中に

「真ん中」があると確信しています。

 

女性ですが、男性でもなく

人であって

 

体ですが、感情でもなく

魂であって

 

黒いですが、白でもなくて

グレーであって

 

過去のことですが、未来でもなくて

現在であって

 

真ん中=中心の部分。

 

どんなに苦しくても

やさぐれていても

拗ねていても

 

泣いていても

怒っていても

笑っていても

喜んでいても

 

その、真ん中の部分と生きてきました。

 

それなのに、どうしても

人としていたいのに

女性であることを恨んで

 

体がついていかないのに

感情的になって

 

グレーなのに

黒くなろうとして

 

現在(いま)ここに、なのに

過去に行こうとして

 

人生のバランスのイメージは

わたしは水平です。

 

なので、左の方がとても重くて苦しいです。

 

左が重いと、感謝が出来なくなった

右上がり過ぎれば

「もぅ大丈夫」と、過信になってしまう。

 

バランスが悪く、どちらかにしかなれないのが、凄く苦しいな、苦しいなと思っていました。

 

自分の基板となっているものはシーソーのように、傾きがあって、いつもどちらかに揺れていて、それを止めよう!止めよう!と、力を入れすぎていたかもと、思いました。

 

止めようとすればするほど、揺れは大きくなり、酔いは凄くきつくなる。

 

どんなに、依存の物質が止まっても、自ら感情の「酔い」に行くのは、すぐには変われず、けれど気付くことができました。

 

 

たくさんの仲間が、わたしのバランスの左右にいて、わたしの見方次第で、良くもなり、悪くもなります。

 

本当に自分次第でした。

 

揺れててもいいかな。

と、思ったときに、少し真ん中で、留まる時間が増えてきました。

 

ずーっと留まることはないんだ。

 

きっと、それがわたしです。

 

やりたくない

けれどもやる。

 

行きたくない

けれども行く。

 

言いたくない

でも言う。

 

毎日、真ん中からの揺れは感じています。

 

その揺れることがあるからこそ、真ん中がとても大切なんだと思いました。

 

世界が良いのか

悪いのかも、わたしの見方次第。

 

わたし次第なんだなと、思えたら、久しぶり真ん中の自分に出会えました。

 

揺れているのは自分だけで

恐れるほどの、大きなことは起こっていない。

 

全ては、自分の内面で起こっていました。

 

自分に対する、負い目は

わたししか、気づけなく、これはある意味、わたしの一つのパターンなのかな?と、わかっただけでも、自分に優しくなれたように感じます。

 

やったことのない、自分に対する埋め合わせのプログラムの最初の一歩。

 

気づかせてくれたのは、仲間の中だから。

 

良いことも

悪いことも。

 

 

変えていく勇気に気づかせてくれる仲間に感謝です。

 

フラワーガーデン

「欠片」-かけらー

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どこか自分は欠けていて

何かで埋めようとしてきたのが無くなったら

自分よりも「何か出来る人」を

「凄いな」と、思うよりも

「大嫌い」と、思って

・・・そして、自分のことも「大嫌い」と思うようになっていた。

 

「大嫌い」と、思えば思うほど

自分の「出来ること」は、段々と、遠くなっていく。

 

「大嫌い」と、人のことを思えば思うほど

その人は、遠くなっていく。

 

欠けているかもしれないけれど、埋めようとしてきたのもは

「酔う」ことや、「感じない」ようにするもの。

 

酔いが醒めたら、感情が押し寄せてきて、「欠片」が浮き彫りになってきて

凄く恥ずかしくて、なんとか埋めようとしても

「出来なくて・・・」。

 

ピッタリと嵌る、破片は簡単には見つからなくて

実は、破片は「無い」も同然。

 

闇雲に探しまくっても、見えないものは見えない。

無いものは、無い。

 

暗闇をずーっと見つめているようなもの。

 

その間に、自分が「出来ること」「得意なこと」に

感謝出来なくなっていく・・・・。

 

暗闇に希望の光・・・。

それは―

 

「自分の出来ること」「得意なこと」「好きなこと」「楽しめること」

「やりたいこと」「やりたかったこと」。

 

欠片を埋める・探すことよりも、まずは

「欠けてしまっている自分」を許していこう。

 

欠片がある同士だから、支えあって、助け合って、愛し合っていける。

その破片で、相手を刺すのではなくて、破片同士がぶつかって

ちょっと角が丸くなったら、自分に刺さることも無くなる。

 

ぶつかって、形を変えて、変化して

探すことよりも、自然に、ありのままに

欠片が埋まっていくこともある。

 

あたらしい自分の形。

 

出来ることは、誰でもある。

得意なことは、きっとある。

好きなことは、何だろう?

楽しめること、一緒にやろう。

やりたいこと、やってみよう。

やりたかったことに、チャレンジしよう。

 

欠片なんて気にしない。

気になるときは、刺さってしまうとき。

 

痛くて、悲しくて、寂しくなるけど

それはそれで、「欠けた部分も自分の大切な一部」。

 

だから、無くさないで。

宝物みたいに、キラキラした欠片。

 

フラワーガーデン

「願い」

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全てに意味がないと思うとき

・・・自分の無意識の中で

魂が、何かしらSOSを出しているのかも

 

 

表面上は、わたしの体だけど

生きているのは、魂の部分

 

陰って、見えなくて

感じなくて生きてきて

 

頭の中は、被害妄想も

ネガティブな想像でいっぱい

 

それで、魂がSOSを出して

生きてる意味を必死に探そうとする

 

・・・意味がない

 

意味がないと発するなら

意味のある行動をしたらいい

 

何の意味があるの?

 

それは、自分で見つけていくこと

 

自分の人生

誰かに意味付けしてもらって

それで自分のストーリーと呼べるかな?

 

ネガティブになってしまうこと

被害妄想が出てくること

 

魂から、遠く離れる選択をしてきて、自分を見失った

 

それは、全て癖であって

 

その癖を、いいものに変えていくには

 

それ以外の選択肢があるということを、知っていくこと

 

ネガティブは、つまらなくて

被害妄想は、生きていく視野を狭めていく

 

意味がないと思うこと

それは、自分が思っているだけで

 

どんなに辛い過去でも

悲しい思い出でも

 

私の人生の一部なのだから

私が生きていく上での意味はある

 

その人生は語られるほどに

表に触れるたびに

 

ストーリーの強い道筋=プロセスになっていく

 

例え、私が願って生まれていなくても

 

魂が、生きていくことを願っている

 

生きている意味は

私の価値で

 

私の価値は

自分で決める

 

フラワーガーデン

「OFF」

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心は、体の3メートル先にあって、追いつかない

 

体が「今」なのか

心が「今」なのか・・・

 

きっとどちらも本当の「今」

 

選択肢は二つ。

無理しないで頑張るか

少しゆっくりする努力をするか

 

今なら

少しゆっくりする「努力」をしてみる

 

一生懸命なのは、とてもいいこと。

 

でも、執着しない生き方を選んで、人間らしくなってきたら

人間らしく、体は疲れる

 

身体からのSOS

 

聞こえない振りをしているのは簡単で

その聞こえない・聞かない振りが過去の生き方

 

頑張ることは、わたしにとったら「無理」をすること

 

だって

「頑張って」と言われて

腹をずっと立てていたのだもん・・・・

 

「わたしは、頑張ってるよ・・・」と。

「そう見えないの?」・・・

 

だから必死で、誰かに言われたからと、頑張る

怒っていても、堪えて、隠して、蓋をして頑張る

誰の人生を生きてきたかな?

 

誰の為に怒って頑張ってきたのだろう・・・

自分の為だったら、きっとこんなに怒って頑張らなかった。

 

「少しゆっくりする努力」は、努力しないと出来ないもの。

たくさんの言い訳。

 

忙しい・時間が無い・空いている日が無い。

 

アディクションを使うときの「言い訳」と一緒だった。

 

誰かに「認められたい」から、憎んで、怒って頑張っても

認めてもらえないから恨む。

 

「頑張れって言ったでしょ?だから頑張ってきて・・・

・・・・でも、本当は、疲れていたんだよね。」

 

生きていることで、何が大切だろう?

 

美味しくご飯が食べれること

暖かい布団でゆっくり眠れること

毎日お風呂に入れること

 

安全なものは、準備されていても、わざわざ自ら「言い訳」をして

追い込んで・・・怒ってる。

 

怒っていれば

こんなご飯食べたくない

眠る時間は勿体無い

お風呂に入るのは面倒くさい

 

感謝さえ、出来なくなる。

 

 

当たり前が、当たり前に出来ないのが、わたしなんだ。

その

当たり前に

「当たり前ってなに?」と、反発するのもわたし自身。

 

身体のSOS。

 

疲れたら、休むように、神様は私たちを作った。

 

休む努力。

自分の体の声を聞く姿勢・意識。

 

自分を大切にしていく、自分の人生を生きる一歩。

 

頑張るは、決して悪い言葉ではないけれど

まずは、その「頑張って」の言葉を素直に受け入れられるように

「少しゆっくりする努力」も必要。

 

フラワーガーデン

「諦めず」

ダウンロード

自分が生まれてきたことに

違和感と疑問があり

目的も希望も目標も無く

ただ、目の前の時間を

「早く今日が終わればいい」

「早く明日になればいい」

と、一日一日を過ごしていく

 

その一日の使い方は

「身になる」ものでも

「学び」でもなく

ただただ、時間を「手放す」

 

「どうせ、人生はこの程度」

「どうせ、人はいつか死んでしまう」

 

諦めと開き直りが止められなくて

・・・こんな自分に何が出来るのだろうと、自分の人生よりも

自分自身に希望が無かった

 

平等に24時間が与えられているのに

 

とても長く、ゆっくりで

お昼をまわれば

「早く夜にならないかな」

と、明日への焦り

「明日も同じことを考えるんだろうな」

と、諦めと繋がる

 

 

分からない。

 

明日、死んでしまうかもしれないのに

明日、同じことを考えるかな?

 

今日が最後だったら、一番したいことはなんだろう?

 

 

明日、最後だったら、今日のように諦めと開き直りで過ごすのかな?

 

最後に、そんな風に考えるしかない自分が一番悲しいなと思った。

 

今日は、24時間。

 

限られている時間。

けれど、平等に与えられている。

 

凄いなと、思う尊敬する人たちにも、大好きと思う人たちにも、大切な人たちにも、自分にも、平等。

 

同じ人間ならば、自分にも諦めじゃない、開き直りじゃない

人生の時間の使い方があると思う。

 

誰かと誰かが愛し合って生まれてきた、自分の命。

愛されていないと感じていたとしても、愛から生まれた命に変わりはない。

 

諦めを、やる気に変えて

開き直りを、正直さに変えて

 

限られた時間とわかっているのに、同じ人間とわかっているのに

生きていくことに「遠慮」と「我慢」なんてしていられない。

 

苦手な人も、嫌いな人も、憎んでいる人がいたって、別に構わない。

自分が「愛」から生まれてきたなら、自分自身に「愛」を持てるはず。

 

自分の人生・時間。

大切に出来始めたら

無駄に使った時間は無いなと、諦めていた、開き直っていた自分を「許せる」

いつの日か、苦手な人も、嫌いな人も、憎んでいる人も

「きっと必要だったんだな」と、許して愛せる日が来るはず。

 

フラワーガーデン

「感謝の繋がり」

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当たり前に誰かが「わたしの事を、色々と、してくれる」と

「感謝」することも無くなってしまい

 

最後には、本当に「一人」の殻に閉じこもってしまって

「ありがとう」など、何年も思っていなかったし

言ってもいませんでした。

 

 

当たり前の事など、実は一個も無くて

全部は「思いやり」だったり「愛情」。

 

でも、歪んで受け取ることしか出来なくて

「それぐらい、当たり前」と、口に出さず

 

態度には「感謝」も「ありがとう」の一文字も表さず

何も言わずの行動で、満たされないのは「当たり前」だったなと思います。

 

寂しい、悲しい、怒りの感情を出さなくなった結果は

「孤独」と「歪んだ当たり前」。

 

けれど、自分が絶望だな・・・とやっと感じた時に

痛い程に、胸に刺さるのは

「思いやり」と、「愛情」。

 

今まで、生きて来た中で

例え、どんな状態・状況でも命を落とさずに生きてこれたのは、感謝の他に何があるのだろう。

 

その感謝の中には、どれだけの人の「支え」と「思いやり」と「愛情」があったのだろう。

 

考えた事など、一度も無かったです。

 

「受け取る」事の練習も、とても必要でした。

 

プライドと、恥の壁が厚くて

「自分で、一人で生きて来た」という、傲慢さが邪魔しました。

それでは、感謝にも気づけず

愛情など感じれず

 

寂しい気持ちの涙

悲しい気持ちの涙

悔しい気持ちの涙

流すことが出来なくて、孤独は変わらず、癒しの涙にも辿り着けませんでした。

 

邪魔だな・・・と思えた時が、「歪んだ当たり前」を削除していく瞬間。

長い間・・・「自分はどれだけ苦しんでいたのだろう」

 

吐く言葉は、汚くても、流す涙は「綺麗な真実」でした。

 

「ありがとう」と言える自分は大好きです。

「当たり前でしょ」と思って何も言わない自分は、ザワザワして気持ち悪い。

 

誰かと繋がる大切な言葉

「ありがとう」は

自分のことも好きになる言葉だったりします。

 

言える自分ってどんな人だろう?

言えなくてイライラしている自分って何だろう?

 

態度に出す自分のことは、好き?

 

変えて行ける部分ってどこだろう?

変えて行きたいところはどこだろう?

 

逆に「ありがとう」と言われて

自分は受け取れているかな?

 

言われて「当たり前」と

思ったりしていないかな?

 

自分を見つめるいい言葉にもなったりします。

 

自然体で言い合える関係。

心から、欲しかった「思いやり」と「愛情」を

与えて・受け取ることが、人生を変化させてくれるのかなと思います。

 

フラワーガーデン

「満ち溢れた人生」

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人生に逃げ道を作って生きてきた

 

その逃げ道は、かなりの割合で辿り着いて

 

逃げ道と言うよりは

もぅ知っている道

 

わたしの過去の生き方

 

立ち向かう勇気よりも、傷付くことはなく、痛みもない

 

楽かな?とも思うけれど

 

心の奥底には

やらなかった後悔

言えなかった後悔

 

あのとき、あんな風にしておけばよかった。

 

もぅ時間は戻らないのに

何回も後悔するのに

 

逃げ道を繰り返し選択する

 

人生後悔だらけで

生きているエネルギーが

いつもいつも不完全燃焼

 

そのエネルギーを負の方向に持っていけば

 

どん底になっても

後悔を繰り返すことは出来る。

 

 

逃げない選択

 

どちらを取るのかは自由

どちらの道を行くのも自由

 

どちらを取ってもいい

 

自分の人生に

 

後悔

と、言う二文字が浮かばないならば、選ぶのは自分

 

 

そして

 

助けを求めるのも、自分

 

助けを求めることが

カッコ悪いとか

ダサいなと思うこともあるけれど

 

一人で、もがいて

苦しんで泣いている自分よりも

 

人の中で

怒って

泣いて

ぶつかって

・・・それでも、助かりたいと

這いつくばり、立ち上がるとき

 

やってよかったと

心から思えるはず。

 

 

人生に

逃げ道も

保険をかけることも

予備も

 

そんな計画はなくて

 

ただ、人生には

決められたタイムリミットがあるからこそ

 

 

後悔しない、生き方

後悔しない、人との関係

 

言いたいこと

伝えたいこと

 

人と違うからこそ

恐くなるけれど

 

不完全燃焼よりも

エネルギーに満ちた

 

わたしの人生の道。

 

 

フラワーガーデン

「有効活用」

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感じられるようになった

エネルギーを

どんなフィーリングに変えていくかで

その日一日の

その瞬間の

その時の

人生の方向が変わっていく

 

受けとる言葉も

フィーリング次第で

捉え方も意味も変わる

 

完治はないけれど

回復はし続けられる

 

回復のプログラムは

使い続けていくことと

更新していくことで

成長し続ける

 

誰かの希望になることよりも

わたしが人生に希望を持ち

 

人間らしく生きていくことが

一番自由

 

怒ること

ふて腐れること

泣くこと

悔しがること

 

全て自分のことなのだから

それに蓋をすることはない

 

間違いを真顔で淡々と正すよりも

投げ出しそうになりながら

カッコ悪くボロボロで立ち上がったときのほうが

 

自分を更新出来ている

 

根っこのエネルギーが

何だっていい。

 

それが負であっても

今じゃない。

 

けど、プラスに生かすために忘れてはならないのは

感謝すること。

 

こう思えるようになったことも

一人じゃなかったから。

仲間がいたから。支えてもらえたから。

家族に愛されているから。

 

どんな根元を使うにしても

プラスにするなら、感謝と愛を忘れない。

 

愛と感謝が重なり

新しく沸き起こるものは

 

今まで縁の薄かった

けれどとても欲しかったもの。

 

わたしにはなれないだろうと

諦めていたからこそ

 

忘れない。

 

ありがとう&愛してるの気持ち。

 

フラワーガーデン