「変わらない良さ」

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人がたくさんいるのに

寂しさを感じる

 

声が聞こえるのに

雑音に聞こえる

 

ユラユラと揺れ続けた決心

 

安心したかと、思えば

やっぱり閉ざしてみたり

 

安全かと思いきや

急に底に落ちる速さ

 

揺れすぎて

バランスが取れなくなり

心の真ん中はいつも

気持ち悪さでいっぱいだった

 

笑えないし

笑えても

そぅ長くは続かないんだろうと

 

結果はいつだって

不安と心配

 

真っ直ぐ立った安定感と

姿勢よく座った安心感は

 

自分を歩くためには必要なもの

 

寄り道がとても多くて

逃げ道もたくさん知ってて

 

壁があったら

わざと、回り道をして

 

あるところ、ある場所に

なかなか辿り着けず

 

けれど、自分の歩く道に

行き止まりというのは

無かった

 

細くて長いような気がする

自分の歩く道

 

行き止まりは無かったけれど

 

選択してきたのが

進む道

 

例え

寄り道しても

逃げ道があっても

遠回りしても

 

「おかえり」

 

と、言ってくれる場所に

ちゃんと、帰ろうとする

 

気持ち悪さ

ユラユラ揺れることもあるけれど

 

やっぱり

「ただいま」

と、言えたときに

 

安心、安定とはまた違った

言葉に出来ない贈り物

 

変わらない良さ

変わらない仲間

変わらない家族

変わらない友達

 

変わらない愛情を

きちんと、受け取れた

言葉に出来ない人生の贈り物

 

 

フラワーガーデン

「受け取りたい」

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好きなことも

嫌いなことも

 

出来ることも

出来ないことも

 

ハッキリと言う

あの子は、私にはとても

ワガママに思えた

 

それなのに

あの子の周りには

 

友達もたくさんいて

先生にも優しくされていて

お家では、お母さんが待っていて

 

大人に守られている

 

そんな気がしていて

 

大嫌いだった

 

いつも、笑顔で

ハキハキ喋って

 

元気に楽しく走るあの子は

私には、違う世界の人だった

 

あんまり知らないし

仲良くないし

 

きっと、あの子も

私が、ここにいることすら

気にかけてないはず

 

・・・私が、嫌いなんだから

あの子も、私のこと、嫌いなはず

 

 

 

 

全部が

「たぶん、そうなはず」

 

私は、好きなことも

嫌いなことも、わからなくて

 

何が出来て

何が出来ないのかも

わからない

 

あの子は、自分を知っているようで

 

弱さも

強さも

 

甘え方も

助けを求める方法も

 

知っている

 

教えてなんて

とても言えない

 

・・・認めたくない何か。

 

 

それは、自分の

「言えない」っていう

弱さ

 

 

好きなことも

嫌いなことも

 

本当は知ってる

 

出来ることも

出来ないことも

 

本当はある

 

「言ったら、何か失う」

みたいな、邪魔をする

自分自身の中の怖さ

 

言ったら、何か失うのかな?

 

好きとか、嫌いとか

 

あれは得意で、これは出来ないとか

 

逆に

私が形になって

 

私という、人が

出来上がってくるんじゃないかな

 

 

「大丈夫?」と、話しかけてきてくれるあの子は

 

周りからの「愛情」を上手に受け取っていて

 

 

・・・それを、独り占めしたりしていなかった

 

 

ちゃんと受け取れているから

 

友達にも

先生にも

お母さんにも

周りの大人たちにも

 

 

・・・私にも、優しく

手を差しのべてくれる

 

 

「愛情」を知っている

あの子は

ズルいのではなくて

 

 

あの子はズルい子と、思っていれば

嫌いでいられるんだろうなと言う

 

自分の弱さを見せたくない

私のズルさ

 

 

そんな

ズルい私に、真っ直ぐに

「一緒に遊ぼう」と言ってくれて

 

 

ありがとう

 

 

寂しかったみたい。私。

凄く子供の、自分。

 

大人になっても

拗ねる。

心の中で。

 

 

そんなときは

 

一緒に遊ぼう。大丈夫。

 

と、大人の私が

心の中の子供の私に

愛情を与えていこう。

 

今なら

大人の私が、周りからの愛情を

ぎこちなくでも

 

ムズムズしても

違和感でも

受け取りたいと

思う。

 

 

フラワーガーデン

 

「いつか・・・が、あるなら」

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どうせいつか死ぬのだから

 

そう思って

投げやりに生きて

その半分は諦めて

 

希望に目覚める朝なんかなくて

 

夜になれば孤独で

 

傷付く生き方に慣れているように振るまい

傷付くことは慣れている

裏切る

裏切られることは慣れている

 

そう考えていても

感じているのは

凄く痛い、胸のあたり

 

 

いつか死ぬことが決まっているなら

 

ほんとうは投げやりにじゃなく

諦めじゃなく

生きていたいけれど

 

周りには助けてもらうことさえ

拒んでいた

 

怖くて、怖くて

 

何を怖がってるんだろう

 

生きること

傷付かない生き方をすること

愛とか友情とか仲間とか

信頼、希望、夢

 

そのなかに

正解を探している

 

失敗しないようにと

怖がって

 

もぅ、失敗じゃん・・・と、諦めて

言い訳をして

 

責めて責めて

また傷付く

 

平等に与えられた

人生の時間

 

 

今、ここで

 

どうせいつか死ぬのだからの

「どうせ」という思いが

 

必ずいつか死ぬのだから

と、そう思えたから

 

自分の人生の半分でも

残りの時間を

 

これからの人生として

 

正解は探さない

失敗は、怖くない

 

もったいない生き方を

やめると決めたら

 

閉ざしている心を開けて

もっとザクザクに傷付いても

 

ここにある、愛は逃げない

 

与えられた人生のなかの

愛は勝手に逃げていかない

 

泣くことでザクザクに傷付いても

開いていれば、傷はすぐにかたくなり、強くなる

 

逃げない限り

必ず孤独じゃなくなる

 

一人じゃなくなる

 

仲間がいて

見せてくれる、希望

 

一緒に築いてくれる、信頼

 

感じさせて

与えてくれる、愛

 

そのなかなら

必ず見つかる、自分の夢

 

そして、その夢を現実にして、新しい生き方をすること

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・・・胸の痛みも、もぅ、一人で受け止めることはない

 

 

 

フラワーガーデン

「自分」

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少しの間、アディクト的なことをしなくなると

 

アディクトであることをすぐに忘れる

 

使っていないことの真実が見えなくなり

 

何が優先なのかも見失う

 

1年でも、2年でも

例え10年でも、20年でも

 

下手くそな部分は下手くそなままだし

 

不器用なところは、不器用なまま

 

それでもいいんだ、ありのまま

と、思える心が少し大きくなっていく

 

けれど、容量が大きくなるのではなく

 

下の受け皿がたくさん出来てくる

 

仲間だったり

家族だったり

友達だったり

パートナーだったり

 

 

夢だったり

希望だったり

目標だったり

 

喜び、楽しさ、笑顔、愛

 

受けてくれる暖かさや、フィーリングは重なって重なって大きな層になって

 

または、木の年輪のように

 

幾重にも重なって

わたしの周りを取り囲んで大きくなる

 

わたしが一人で背負いきれないものは

 

受け皿であって

年輪である

 

その人や、その喜びと一緒に

受け取って、受け入れていく

 

だから

根っ子は

アディクトは変わらず

 

真実は、クリーンであること

使っていない今は、とても素晴らしい1日

 

その真実をいとも簡単に忘れて、受け皿も年輪も無かったことのようにしてしまうのは

 

アディクトの病の部分で

本当は・・・自分が使っていないことは奇跡で

それは自分だけの力ではないことは知っているけど

 

アディクト的なことをしなくなると、その感謝を忘れてしまう

それも、使っていないわたしの真実

 

自分には二つの側面があって

「アディクト」と、「アディクトの自分を忘れない」自分

 

使っていない自分を褒めれる自分か

使っていないのは、もぅ当たり前と思う自分か

 

使わないでいられるのは、周りに支えられているからと感謝を伝えれる自分か

使わないでいれているのは、自分だけで頑張ったからと思ってしまう自分か

 

どちらの自分でも、きっと自分

 

病も、真実も、信じることも

弱点も、個性も

 

「両方認めていられる自分」

「全部、正直に話せる自分」

 

遠回りしても、時間差でも「気づける自分」を続けていきたい。

フラワーガーデン

 

「使命」

アディクションを使って生きることが

わたしの、生きる使命ではない

 

使いながらも

それはどこかわかっていた

 

生まれたときから、一旦は落ちることが確定されていたのかもしれないけれど

 

その後の自分の使命は

とてつもなく大きくて

とても、素敵なもの

 

望んでいたものとは違っていたり

これでいいのかな?と、疑問が出たりもするけれども

 

わたしの使命という

回復し続けるという

 

アディクションならではの

使命

 

わたしの人生を

誰かのために、捧げていたのは

その使命が

恐くて

果たせなくて、とても一人では無理なものだったから

 

笑うことも

怒ることも

 

人間として諦めて

 

生きることも

繋がることも

 

全部一度諦めた

 

逃げれば逃げるほど

人生に負い目と

後悔があり

 

悔しくても、もぅ泣くのも面倒くさくなるほどの

あの過去には戻りたくない

 

その過去を思い出すと

今でも暗くて冷たくて寂しいだけの気持ちが蘇る

 

使命

 

大きなことは、出来なくても

わたしが使わないで生きることは

 

わたしが、わたしで生まれてきたことの

 

大きな使命

 

ありのままで、生きていくこと

回復し続けること

 

わたしが、わたしで生きていくことの使命

 

何をしたいか

どんな風に未来を描いて目指していくか

どんな姿勢で

どんな言葉使いで

どんな意識を持って生きていくか

 

それが

人の中で生きていきたい

本当のわたしと繋がるための使命

 

・・・ただ、わたし自身そのもので生きることほど難しいものはなくて

 

けれども、昔の絡まった生き方ほど苦しくはない

 

何かを学んで

何かを経験して

何かを伝えて

誰かと繋がって

自分と繋がって

 

自分の決めた人生を胸を張って生きることが

 

わたしの使命

 

フラワーガーデン

「voice」

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悲しくて泣くことでの涙
悔しくて泣くことでの涙

たくさん流した涙でも
自然と流れる涙が
本当の癒しの涙

幼い自分のことを思い出し 10代、20代のことを思い出し

蘇る自分の姿は
教室で一人
家族の中でも、一人

校庭では、友達は遠く
家の中でも一人でご飯を食べて

その時の感情を感じると
流れそうになるのは
苦しく悲しく寂しい涙

絶対泣かないと、思い出し感じながらも
その感覚を否定しようとする、今


優しい声をが聞こえる
傷付いている幼い心に
染み渡るように
赤く小さな火を灯すように
少しずつ少しずつ
暖かく広がり

絶対泣かない と、否定するのは
今なのか
幼いな心なのか

優しい声に耳を澄ませば

幼い自分の声が
内側で聞こえる

絶対泣かない
誰も守ってくれない

・・・でもさ 助けは求められたよ。きっと。

10代の自分の声が
内側で聞こえる

わたしは、みんなと何か違う

・・・それは、いけないことなのかな?

20代の自分の声が
内側で聞こえる

こんなはずじゃなかったのに

・・・本当はどうしたかったのだろうね?

「今」・・・きっと、全てが必要であると思え るなら、人生は必ず変わる。

そう感じたとき、無意識に
苦しくない悲しくない、寂しくない 涙が流れた。
呼吸は安定したままの 深い涙。

力を入れないで泣ける涙。
息を止める必要がない、思考から 心にやっと繋がって 一つの管になって 蛇口を少し捻ったように
溢れるというよりも
流れる涙。
我慢しないで泣くことの 字の如く 流れるまま。

目を覚ませば 不思議な昂りと
安心感。

地に足は付いている。
息は深くしていられる。
わたしの中にあった
癒されたかった
許されたかった
認められなかった
否定的な過去。

けれど

もう何をやってきたかよりも

幸せになることの方向を
地に足を付けて、呼吸をして
生きていく
未来へ。
自分に、ありがとう。

よく、生きてきてくれたね。
思い出す映像に
一人の自分はいるけれど
優しい声と共に

そのわたしの映像の主観から 周りを見渡す余裕が出来てきた。
見渡したら
クラスメイトも
家族も 仲間も結構、側にいたことが見えた。

固まって動かなかった 写真が
動く映像として
初めて、周りを見渡し

校庭でクラスメイトに本当は駆け寄ったとき

一人でご飯を食べていても
家族が帰ってきて 笑顔で出迎えたら、抱きしめてくれたとき

何も聞こえなかった無声ストーリーに
優しい声がメロディーになって

動き出した
音が帰ってきたよ
声が帰ってきたよ

聞きたくなかった
聞こえなくなってた

色んな音と声が
聞こえてきた

だから、ありがとう。

 

フラワーガーデン

 

「プラン」

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自分の計画をたてたことがないのに

思い通りにならないと

腹をたてて

イライラして

不機嫌

 

本当は全然間に合うことを理由に

「アレが出来なくなるかも」

「時間に間に合わなくなるかも」

とか

人に対しても

「あのとき、伝えたのに」

「言ったのに」

と、無駄なエネルギーを使って

毎日、イライラ。

 

どうして?

なんで?

 

の言葉は

問いかけじゃなく、攻める言葉になり

 

自分自身にも

なんなの?

どうしてなの?

 

こんなはずじゃないのに!

と、言葉で虐待。

 

世界は自分中心でしょうか?

家族はわたし中心でしょうか?

仲間はわたし中心に動いてくれますか?

 

わたし中心という

自己中心のエネルギーで

外に向けたら

その外部には、たくさんの人います。

 

そのエネルギーは、倍の力になって、返ってくるような気がします。

 

その力を

自分中心のわたしが、一人で

受け止めれるはずはありません。

 

逃げたくなります。

例え、言語でなくても

妄想という、わたしが作り上げた世界観で、もっともっと逃げたくなります。

 

・・・逃げるように

アディクションを使っていました。

 

 

自分中心なのに

わたしの人生を生きれない。

 

ひかれたようなレールも嫌で

けれども自分で決める自信もない。

 

死んじゃいたいな。

など、とりあえず言ってみるものの、それはお芝居のようで。

 

本当はどうしたいのかな?

 

 

・・・助かる方法はあるのに。

 

 

こんなの、気持ち悪い。

この感覚、くすぐったい。

 

どこで、何を感じてる?

いつも、感じてることを置いといて

「これは、何?」と、頭で考えていないかな?

 

体のどこで、怒りを感じるかな?

どこで、悲しさ、苦しさ、もどかしさ。

 

そして、体のどこで

喜び、楽しさ、嬉しさ。

感じるかな?

 

表面よりも

なんでも中身が大事。

 

大切なのは、自分の心。

 

本当は不安で

寂しくて

一人ではどうにもならいということを

助けて欲しいと言うように

まずは、自分の心に素直に。

 

内側から外側に向かう力ほど

自分の人生を輝かせる

有効なエネルギーは他に無いはずです。

 

それが、神さまの計画。

神さま、中心。

 

自己中心に生きていることは

自由を手にすることを拒んでしまっていること。

 

わたしが世界の中心ではないけれど

 

わたしの人生は、わたしが中心。

 

フラワーガーデン

「フラワーガーデン春~message~」

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生まれてきて

女性として、生きてきました。

 

女性として、生きてきて

「よかったかな?」と、自分に問いかけると、涙が出そうになります。

 

半分は、幸せです。

女性の仲間の手助けが出来て

自分の成長に繋がる。

 

半分は・・・まだ、どこか

被害者という視点。

 

過去の傷というのが、明るみになってから、定期的なのか、胸が引き裂かれるように、苦しくなります。

 

9月になり、季節の変わり目。

台風や、遠い国での震災。

他の国からの、核の発射など、わたしにはどうにも出来ないのに、

「だからだよ・・・なんでこんな風になるんだろう?」と、頭の中での一人の会話が増えていきます。

 

わたしが、女性でなければ

起こらなかったことなのかな?

 

わたしが、女性でなければ

なにか、他のことが出来たのではないか?

 

わたしが、女性だから、だめだったのではないか?

 

と、自分に向けた自分を傷つける問いかけ。

 

自分が女性であることは

変わりないのに、何故か

その部分に対しての、エンドレスな問いかけは、とても苦しいな・・・と、少し気付きました。

 

自分自身の中に

「真ん中」があると確信しています。

 

女性ですが、男性でもなく

人であって

 

体ですが、感情でもなく

魂であって

 

黒いですが、白でもなくて

グレーであって

 

過去のことですが、未来でもなくて

現在であって

 

真ん中=中心の部分。

 

どんなに苦しくても

やさぐれていても

拗ねていても

 

泣いていても

怒っていても

笑っていても

喜んでいても

 

その、真ん中の部分と生きてきました。

 

それなのに、どうしても

人としていたいのに

女性であることを恨んで

 

体がついていかないのに

感情的になって

 

グレーなのに

黒くなろうとして

 

現在(いま)ここに、なのに

過去に行こうとして

 

人生のバランスのイメージは

わたしは水平です。

 

なので、左の方がとても重くて苦しいです。

 

左が重いと、感謝が出来なくなった

右上がり過ぎれば

「もぅ大丈夫」と、過信になってしまう。

 

バランスが悪く、どちらかにしかなれないのが、凄く苦しいな、苦しいなと思っていました。

 

自分の基板となっているものはシーソーのように、傾きがあって、いつもどちらかに揺れていて、それを止めよう!止めよう!と、力を入れすぎていたかもと、思いました。

 

止めようとすればするほど、揺れは大きくなり、酔いは凄くきつくなる。

 

どんなに、依存の物質が止まっても、自ら感情の「酔い」に行くのは、すぐには変われず、けれど気付くことができました。

 

 

たくさんの仲間が、わたしのバランスの左右にいて、わたしの見方次第で、良くもなり、悪くもなります。

 

本当に自分次第でした。

 

揺れててもいいかな。

と、思ったときに、少し真ん中で、留まる時間が増えてきました。

 

ずーっと留まることはないんだ。

 

きっと、それがわたしです。

 

やりたくない

けれどもやる。

 

行きたくない

けれども行く。

 

言いたくない

でも言う。

 

毎日、真ん中からの揺れは感じています。

 

その揺れることがあるからこそ、真ん中がとても大切なんだと思いました。

 

世界が良いのか

悪いのかも、わたしの見方次第。

 

わたし次第なんだなと、思えたら、久しぶり真ん中の自分に出会えました。

 

揺れているのは自分だけで

恐れるほどの、大きなことは起こっていない。

 

全ては、自分の内面で起こっていました。

 

自分に対する、負い目は

わたししか、気づけなく、これはある意味、わたしの一つのパターンなのかな?と、わかっただけでも、自分に優しくなれたように感じます。

 

やったことのない、自分に対する埋め合わせのプログラムの最初の一歩。

 

気づかせてくれたのは、仲間の中だから。

 

良いことも

悪いことも。

 

 

変えていく勇気に気づかせてくれる仲間に感謝です。

 

フラワーガーデン

「欠片」-かけらー

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どこか自分は欠けていて

何かで埋めようとしてきたのが無くなったら

自分よりも「何か出来る人」を

「凄いな」と、思うよりも

「大嫌い」と、思って

・・・そして、自分のことも「大嫌い」と思うようになっていた。

 

「大嫌い」と、思えば思うほど

自分の「出来ること」は、段々と、遠くなっていく。

 

「大嫌い」と、人のことを思えば思うほど

その人は、遠くなっていく。

 

欠けているかもしれないけれど、埋めようとしてきたのもは

「酔う」ことや、「感じない」ようにするもの。

 

酔いが醒めたら、感情が押し寄せてきて、「欠片」が浮き彫りになってきて

凄く恥ずかしくて、なんとか埋めようとしても

「出来なくて・・・」。

 

ピッタリと嵌る、破片は簡単には見つからなくて

実は、破片は「無い」も同然。

 

闇雲に探しまくっても、見えないものは見えない。

無いものは、無い。

 

暗闇をずーっと見つめているようなもの。

 

その間に、自分が「出来ること」「得意なこと」に

感謝出来なくなっていく・・・・。

 

暗闇に希望の光・・・。

それは―

 

「自分の出来ること」「得意なこと」「好きなこと」「楽しめること」

「やりたいこと」「やりたかったこと」。

 

欠片を埋める・探すことよりも、まずは

「欠けてしまっている自分」を許していこう。

 

欠片がある同士だから、支えあって、助け合って、愛し合っていける。

その破片で、相手を刺すのではなくて、破片同士がぶつかって

ちょっと角が丸くなったら、自分に刺さることも無くなる。

 

ぶつかって、形を変えて、変化して

探すことよりも、自然に、ありのままに

欠片が埋まっていくこともある。

 

あたらしい自分の形。

 

出来ることは、誰でもある。

得意なことは、きっとある。

好きなことは、何だろう?

楽しめること、一緒にやろう。

やりたいこと、やってみよう。

やりたかったことに、チャレンジしよう。

 

欠片なんて気にしない。

気になるときは、刺さってしまうとき。

 

痛くて、悲しくて、寂しくなるけど

それはそれで、「欠けた部分も自分の大切な一部」。

 

だから、無くさないで。

宝物みたいに、キラキラした欠片。

 

フラワーガーデン

「願い」

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全てに意味がないと思うとき

・・・自分の無意識の中で

魂が、何かしらSOSを出しているのかも

 

 

表面上は、わたしの体だけど

生きているのは、魂の部分

 

陰って、見えなくて

感じなくて生きてきて

 

頭の中は、被害妄想も

ネガティブな想像でいっぱい

 

それで、魂がSOSを出して

生きてる意味を必死に探そうとする

 

・・・意味がない

 

意味がないと発するなら

意味のある行動をしたらいい

 

何の意味があるの?

 

それは、自分で見つけていくこと

 

自分の人生

誰かに意味付けしてもらって

それで自分のストーリーと呼べるかな?

 

ネガティブになってしまうこと

被害妄想が出てくること

 

魂から、遠く離れる選択をしてきて、自分を見失った

 

それは、全て癖であって

 

その癖を、いいものに変えていくには

 

それ以外の選択肢があるということを、知っていくこと

 

ネガティブは、つまらなくて

被害妄想は、生きていく視野を狭めていく

 

意味がないと思うこと

それは、自分が思っているだけで

 

どんなに辛い過去でも

悲しい思い出でも

 

私の人生の一部なのだから

私が生きていく上での意味はある

 

その人生は語られるほどに

表に触れるたびに

 

ストーリーの強い道筋=プロセスになっていく

 

例え、私が願って生まれていなくても

 

魂が、生きていくことを願っている

 

生きている意味は

私の価値で

 

私の価値は

自分で決める

 

フラワーガーデン