「いのち」

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わたしにとって

お母さんは

 

わたしの頭の中の

お母さん像でなければならなくて

 

わたしにとって

友達は

 

わたしの頭の中の

友達像でなければならなくて

 

わたしにとって

弟は

 

わたしの頭の中の

弟像でなければならなくて

 

 

 

その、わたしの頭の中でのイメージと

違った言葉が返ってくると

 

とても、怒った

 

悲しかった

傷付いた

 

勝手に

 

 

ただ、淋しかっただけなのに

 

 

わたしは

周りには「こう見えていなければならない」

と、思っていて

 

淋しいとか

泣くとか

 

甘えるとかをすることは

わたしの頭の中では禁止だった

 

だから

 

淋しいと言う友達を見て

泣いているお母さんを見て

甘える弟を見て

 

勝手に、悔しかった

 

 

心の底から

 

 

・・・いいな

と、感じていた。

 

 

弱味じゃないのにね

 

淋しいのも

涙するのも

甘えるのも

 

本当の気持ちなのに

 

誰かの気持ちも、行動も言動と

その人のものなのに

 

どうして、それを認められないのかな?

 

 

わたしが、わたしの

気持ちも、行動も、言動も

・・・嘘で表現しているからなのに。

 

 

周りに言われている

 

わたしは、わたしの頭の中の

わたしではなくて

 

わたしが、見せたくない

わたしにしか、見えていない

 

それなのに

見えている、わたしが

見せたくない部分を隠していることに

 

みんな心配していた

 

 

 

わたしが、わたしに優しくなくて

わたしは、周りに優しくなくて

 

誰かを、コントロールしたくて

 

なにを、そんなに恐いのかな

 

 

その人の個性は

わたしとの、繋がりを

無くすように、感じてしまっていたんだね

 

 

色んな個性があって

その人の、信念があって

 

その人の、人生のストーリーがあって

 

だから、生きていくのは

面白いんじゃないかな

 

 

たしかに

わたしは、生きてる

 

けど、今を活動的に

活きてる?

 

 

この瞬間は

活き活きと新鮮なもの

 

誰も、鮮度を落とそうとしていない

 

一秒まえの、わたしには、戻れない

 

過去も

相手も

 

コントロールは出来ない

 

淋しいのも

泣くのも

甘えるのも

 

鮮度が命

 

 

今を活き活き

生きるのは

 

 

命なんだね

 

フラワーガーデン 春

「小さな女の子」

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怒り

寂しさ

 

怒り

恐さ

 

怒り

甘え

 

怒り

もどかしさ

 

怒り

悔しさ

 

怒り

困惑

 

怒り

恥ずかしさ

 

怒り

疲れた

 

怒り

眠い

 

怒り

空腹

 

・・・満たされていなければ

発信していくことは、全て

 

怒り。

 

怒って、泣いて、物に当たって

誰かのせいにして

 

「寂しい?」なんて問いかけられたら

 

恥ずかしくて、更に

「怒る」。

 

 

泣いて、怒る。

 

子供だね。

わたしの中の、子供が

 

「寂しかったんだよ。」

と、ギューッと心臓のあたりを

掴んでくる。

 

 

この感覚、感じたくなくて

閉じ込めて、封じ込めて

蓋をして、埋める。

 

 

無かったことにして

何もなかったように

 

知らんぷり。

 

 

その子供が出てきそうになると

 

無理に笑って

周りにあわせて

 

口癖は

「大丈夫。」

 

 

・・・何が大丈夫?

 

無かったことに出来ているから?

 

別に一人でもいいから?

 

その、心に閉じ込めているわたしは

 

いま、いくつだろう?

 

幼い幼い

子供。

 

 

 

怒らなくても

誰も、その子を責めていない

 

誰も、わたしを責めていない

 

今は。

 

怒らなくても

誰も、その子をいじめていない

 

誰も、わたしをいじめていない

 

今も。

 

寂しい。

恐い。

甘えたい。

 

苦しかった。

悲しかった。

困っていた。

 

たくさん、言葉に出してあげよう。

 

たくさん、たくさん、言葉に出来るようになってきた。

 

そうしたら

 

楽しかった。

嬉しかった。

頼れた。

甘えれる。

相談できた。

聞けた。

 

乗り越えれた。

 

出来るようになってきた。

 

 

たまに

ギューッと、心臓あたりを掴む

小さな手は

 

「大丈夫じゃない。

 

でもね、もぅ一人じゃないよ。」

 

と、味方になった。

 

一番、側にいてくれた、わたし。

 

いつも、守ってくれていた、わたし。

 

わたしの、心の状態を知らせてくれる、一番の理解者。

 

そろそろ、わたしの今の表面の枠のサイズに、大きくなってきた。

 

ありがとう。

 

一緒に生きてきてくれてありがとう。

 

フラワーガーデン

「≒~nearly equal~」

「≒~nearly equal~」

 

目で見えるもの
言葉で話すもの
耳で聞こえるもの

それを

半分は、素直に
ありのままを見つめて
ありのままを語る
ありのままを
聞く

けれど、もう半分は
その裏側に何かを企んでいるんではないかと、探して

疑いの言葉を発して

相手の言葉には、歪んだものがあるはずと、聞き入れない

わたしの深いところにある
「壁」は

見えないけれど

いつもグラグラ揺れています。

どちらに倒れる事もなく
大きく、揺れて

極端なところもあります。

あの人の
やっていることを
素直に見れる日

素直に伝えれる日

聞ける日
受け入れられる日

けど
素直に見れない日

話したくない日

聞きたくない日
受け入れられない日

それは、全てわたしが
わたしの壁を乗り越えたくないという

反抗と防御

だから、とても不安定で
不完全

見えないからこそ

厚く、高く、かたい壁

飛び越えることもなく
飛び降りることも出来ず

向こう側の世界はどんなだろう?

壁の向こうに見えるのは

みんなが、頭を揃えて笑っている
みんな同じ平等の世界。
素直に見れないわたしは
誰かの
上にいるか
下になるか

攻撃的に返すか
沈黙するか

耳を塞ぐか
聞こえない振りをするか
または
聞いてる振りをするか

人との関係を
平等じゃなくしているのは

わたしの「壁」。

それなのに
求めてるのは

もぅ寂しさや孤独ではなく

暖かさと安心。

高いハードルのような壁は

案外、脆くて
けれど、何故か今は

その壁は透明で

暖かさと安心がある
平等な対等な関係の繋がりがある世界が見えている。
・・・

以外とシンプルなのかもしれません。

壁は、もしかしたら
ただの枠組みだけなのかもしれません。

暖かさと安心の世界から
笑い声が聞こえる。

それなら
もぅ、目をつむって

今立っている位置から
スッと、壁に向かって手を伸ばしたら

暖かく差し出された
誰かの手を握りました。

そこに生まれたのは
壁という、枠組みを超えた

安心感。

壁は、壁のようで
けれど、透明。
「窓」なんだな・・・と
思えました。
素直に覗けない日は
鍵をかけて

外で遊び回るみんなを、いじけて見ているわたし。

みんなの笑い声に
耳を塞いで
暴言と、悔しさと、悲しさをぶつぶつと言っているわたし。

その窓は、いつでも
自分の向こう側
内面の深いところが見える「窓」。

どちらの、わたしも写し出す
「鏡」のようでもあります。

素直に見れる日は
穏やかな顔。

口元も綻んで

仲間の話に耳を傾けている。

素直に見れない日は
その鏡に写る、わたしのことなんて見たくもない・・・

高い壁でも
鍵をかけている窓でも
見たくない鏡でも

向こう側も、自分

どちらの自分も、わたし。

無視をしないように

両方、気にかけてあげるのが
今のわたしたちに必要な

乗り越える
開く
写し出す

どちらの自分でも
選択できる権利はあります。

それは、自由。

どちらも、私達には
必要な部分。

なので
100%完璧じゃなくてもいい。

100%完璧でなければ、いけない。
そう思ってしまう「思考」が
壁を厚く、鍵を頑丈に、鏡は絶対に見ない・・・

そぅ考えさせてしまうのかな。

乗り越えられない
開けられない
写し出したくない
向こう側の世界のことを
考えることで、辛くなってしまうなら

思いきって
飛び越え
開け放ち
手を伸ばして、そして見つめて・・・
感じることで、喜びを経験していこうと思います。

 

フラワーガーデン

「マイ・ストーリ

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生きることは全部

わたしだけの物語です。

 

主役はわたし自身。

 

体感して、その日、その日を

楽しんで

 

やりたいことを見つけて

やっていけたら

 

過去に、生きることも

息をすることも

 

めんどうで、苦しくて

切なかった日々のわたし自身がいたことを

 

大切にしようと思えました。

 

あの苦しくてどうにもならずに過ごしていたわたし自身が

 

今、とても楽しく

未来も、幸せに生きたいと強く思えるようになった。

 

それは、その経験が一つのストーリーとなっているから。

 

そこから、学んで

何もない人生よりは

 

なんだか得したなと感じれます。

 

同じ経験をした仲間の話を聞いて

また、苦しさを感じること

 

その仲間の苦しさを感じれること

 

けれど、一人じゃないので

今は笑っていられること

 

笑えなかったのは、孤独だったから。

 

わたしたちは、アディクションや生きづらさを感じたことで、そこから、どんな形であれ

 

孤独ではないことに

気付いていくことが

新しい物語の始まりなのではないかと思います。

 

 

けれど、孤独でないことには

人とぶつかることも

怒られることも

 

嫌いになることも

憎むこともあると思います。

 

一人のほうが、楽だったと

人の輪を、抜けたくもなります。

 

 

今でも一人だったら、過去のわたしを大切にしようとは思えなかったし、その孤独のなかで過ごすことが当たり前でした。

 

寂しさにも、気付かなかったかもしれません。

 

でも、決して、過去のわたし自身は、今のわたしに、戻っておいでとは言っていません。

 

それは、今のわたしが

過去の寂しく孤独だったわたしを大切しているから。

 

人の輪の中だからこそ

仲間がいて

 

ぶつかる

怒る

喧嘩する

 

話し合う

真実の対話をする

 

気付いていく

 

わたし自身の人生の物語は

わたしが主役でいいけれど

 

一人ぼっちのストーリーでは

つまらない。

 

たくさんの人が出てくる

わたし自身の物語は

 

これからもっと幸せで厚みを増していきます。

 

フラワーガーデン 春

「大切」

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わたしの目の前にいる人は

 

みんな、大切な仲間です。

 

 

 

けれど、そう思えない日も

 

もちろんあります。

 

 

 

思えなかったら

 

思えなかったで

 

 

 

それでいいのではないかとも

 

考えるのですが

 

 

 

大切と思えていない

 

わたし自身は

 

 

 

ダメな人間なように感じて

 

 

 

無理矢理にでも

 

 

 

大切

 

大切と

 

 

 

思うように

 

 

 

取り繕って

 

 

 

無理に笑顔で

 

我慢していたら

 

 

 

わたしが、わたし自身を

 

大切に出来なくなっているなと思いました。

 

 

 

現実は

 

目の前で

 

 

 

何も恐いことや

 

嫌なことは起こっていないのに

 

 

 

仲間を大切に思えない日は

 

 

 

目の前にいる仲間を

 

妄想のなかで

 

 

 

わたし自身に

 

 

 

悪いことを

 

恐いことを

 

 

 

起こさせるような

 

 

 

大きなモンスターのように

 

描いてしまい

 

 

 

孤独になって

 

戦ってしまう日でした。

 

 

 

仲間は

 

一人として

 

 

 

わたし自身と

 

戦おうなんてしてなかったし

 

 

 

どんなわたし自身でも

 

静かに見守って待っててくれました。

 

 

 

 

 

 

 

・・・現実、いま、何か悪いことは起きているかな?

 

 

 

嫌なことは、いま、起きていることかな?

 

 

 

 

 

大切な仲間を

 

大切に思えない日。

 

 

 

わたし自身は

 

 

 

過去、現在、未来

 

 

 

何処を生きてる?

 

 

 

 

 

仲間の中に

 

過去を見つけ出して

 

 

 

わたし自身から

 

その闇に入っていってるような気がします。

 

 

 

 

 

目の前にいる仲間は

 

 

 

過去の闇には関係なく

 

過去のわたしの悲しさや

 

淋しさをあぶりだしてくれて

 

 

 

これからのわたし自身の人生に

 

とても必要な癒しと勇気をくれる人たち

 

 

 

 

 

仲間の中に居て感じる

 

淋しさや

 

悲しさは

 

 

 

過去に感じていた

 

淋しさと、悲しさ

 

 

 

 

 

目の前で泣いても

 

淋しいって言っても

 

 

 

誰も

 

わたし自身をバカにしたり

 

笑ったりする人はいない。

 

 

 

 

 

今の、わたしは

 

今を生きたいから

 

 

 

仲間とぶつかることも

 

仲間を大切に思えない日も

 

 

 

泣いて

 

怒って、悔しくて、悲しくて

 

 

 

 

 

淋しいって言えるまで

 

 

 

どれだけでも

 

 

 

待っててくれる。

 

 

 

 

 

だから

 

 

 

 

 

目の前にいる

 

みーんな

 

 

 

 

 

これからのわたし自身の回復に

 

とても必要な仲間なのです。

 

フラワーガーデン  春

 

「言葉と成長」

ダウンロード

自分には何が出来るかな?

など、考えたこともなく

 

出来ることなど、無いだろうなと思っていたので

 

過去に

 

好きなものは?

良いところは?

長所は?

 

良いところを探すのが苦手でした。

 

 

逆に

 

嫌いなところ

病気の部分

短所

は、すぐに出てくる。

 

 

その背景には

わたしはなにも出来ない。

なにもしたくない。

 

諦めと妥協がありました。

 

 

「何をやりたい?」

と、聞かれて、初めて

 

 

・・・何をやりたいのかな?

と、考えることが出来ました。

 

 

「やりたいこと」のイメージが出てきたら

 

どうやったら、出来るのかな?

と、次の課題があって

 

そこから、またイメージが出来ました。

 

 

「どうやったら、出来るのかな?」の問いかけに

 

・・・今、何ができるのかな?

 

と、初めて取り組むことが出来ました。

 

 

具体的に

 

 

と、言われると困るときもありました。

 

でも、今の自分には何ができるのかな?と、取り組みやすい順番をつけるだけのこと。

 

 

物事には、順番があります。

 

回復にも、プロセスがあります。

 

何かを組み立てるにも、協力と、努力も必要。

 

やり通すにも、継続する力と

意志も必要。

 

根性だけでは、つぶれてしまったなと思います。

 

 

ハードルをとても高く設定はしても

「飛べないなぁ」と諦めて、下をくぐっているような妥協じゃなく

 

 

「今は、何がしたいかな?」

「今は、どうやったら出来るのかな?」

 

そして

 

今なら、何が出来るのかな?

 

と、自分の成長に合わせて、自分に問いかける言葉も成長していきます。

 

 

過去の自分のままで良いはずがなくて

 

今なら、目を向けれること

今の、わたしなら出来ること

 

今の、自分なら、仲間がいて

一人じゃない

 

やりたいことも

出来ることも

 

 

発信していくのは自由。

 

最初は

 

これをやりたいけど・・・

 

・・・じゃ、どうしたらいいの?

と、素直じゃなく、ふて腐れていても

 

 

助けを求めるのも大切。

 

仲間の知恵を借りるのも、大きな大切さ。

 

聞いてみてよかった!

と、あとから心に響く日が必ず訪れます。

 

フラワーガーデン 春

 

「勇気のある声」

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「ここに居たくないな」

と、何度も思ったことはあります。

 

それは、家庭の中だったり

学校だったり

社会生活の中だったりと

自分が「安全」ではないと思う場所で思っていました。

 

その時に感じていた感情は

「不安」と「寂しさ」

 

表に出すのは「怒り」

 

そして「無関心」になる自分。

 

そこに、存在しなくてもいいと思っていたり

 

けど、逆に、認められたくて

もがいていたり。

 

 

今でも、朝目覚めた時に

「あぁ何だか今日は、仲間の中に行きたくないな」と、思うことはあります。

 

 

頭の中のセフルトークは

「誰かの声」で「自分」を攻撃し

 

「自分の声」で「誰か」を攻め続ける。

 

そして「ダメだった日」を

朝から頭の中で作り上げ

その通りに進むように、ダメな結果を追って一日を過ごす準備をする。

 

 

「ほら、やっぱりダメだった」

「こうなると、思っていたし」

 

その浮かんでくる声も、ずーっと頭の中で・・・誰の声なのだろう?

 

 

今まで、失敗はしてきたけれど

そんなに、ダメな人間だったのかな?

 

こんな声を掛けられたこと、あったかな?

 

 

あったのかもしれない。

 

遠い遠い、自分でも忘れてしまっている記憶の中に、あったのかもしれない。

 

けれど、それは過去に2.3回の少なさ。

 

でも、その少ない回数でも

自分自身は、とてもキズついて

立ち直れなくなりそうだったので

 

記憶を塗りつぶすように

お酒や薬で麻痺をさせてきた。

 

人の事をすることで、自分を見ないで済んできたのかもしれない。

 

感じないように、我慢もしてきた。

 

・・・フラッシュバックが、起きているんじゃないかな?

 

 

ある仲間のその言葉に

「そうなのかも」と、不意に落ちる瞬間がありました。

 

 

失敗を恐れたときに、誰かに言われた言葉が蘇って

 

何だか嫌な気分になる。

 

 

まだ、今日が始まってもいないのに、落ちそうな穴を見つめて前に進む。

 

そんな生き方をしてきたから

「10」のうち

「9」出来ているのに

失敗した、「1」だけが、自分の全てになっている。

 

 

「もったいないなぁ。」

 

 

今の、わたしならば、少しはそぅ思えるようになりました。

 

 

自分を責める声を聞きながらも

今の、わたしは

 

「そんなの、もったいないよ」

 

とも、聞こえてくる。

 

 

恐いなと、思いながらも

何かに挑戦したとき・・・

失敗しても、何だか大丈夫だなと思えたのは

「挑戦出来た自分」が、残っているから。

 

「勇気のある自分」が、居てくれるから。

 

 

乗り越えたとは

完成じゃなく、完璧じゃなく

 

その時に

 

とにかくやってみた!自分。

 

 

 

朝目覚めた時に

始まる、頭の中で作り上げるストーリーは

 

過去にどこかしらで経験した

嫌な思い出。

 

「今日を生きよう」

今に目覚める、朝の声かけ。

 

そして

「今日も生かされた」

今に感謝し、寝る前の声かけ。

 

 

誰も、わたしにネガティブな声かけはしていない。

 

それが、真実。

 

ネガティブな声かけをしてくるのは

 

過去のフラッシュバック。

 

 

「今日が、不安なんだね。」

「けど、大丈夫。」

「だって、みんながいるし、出来るんだよ。」

 

不思議と、勇気のある自分の声は

いつも幼く感じます。

 

 

いつの間にか、勇気のある

自分の内面と繋がろうとしているわたし自身がいました。

 

フラワーガーデン 春

「幸せを感じる」

ダウンロード

 

過去に、依存行為を繰り返し

キズつけてきた人がたくさんいるので

 

わたしは、幸せになれる人に値しないと蔑んでいました。

 

罪悪感と後悔の中で苦しくて

自分のことを許せなくて

 

周りには、嫌われているかもしれない不安から

 

わたしが幸せになったら

もっと、人に嫌われるんじゃないかと思ってしまい、幸せであってはいけないと、勝手に思い込んでいました。

 

幸せなはずの出来事も

後ろ向きにしか捉えることが出来ず

 

裏を読んでしまったり

素直に喜べなかったり

笑顔がひきつってしまったり

 

両手を広げて、幸せな出来事を受け止める力はありませんでした。

 

 

不幸じゃないけれど

幸せとも言えない。

曖昧な人生で、楽しむことすら

いけないような気がしていました。

 

自分には

魅力があるとも

能力があるとも、認められなくて

ただただ、自信がないだけ

 

こんな、わたしだから

こんな感じの生き方しか出来ない

 

と、諦めと妥協ばかりでした。

 

過去に生きてて

過去のわたしが

「まだ、だめだよ」と言ってるみたいで

 

手を離してくれず

今のわたしを心配し過ぎている感じでした。

 

 

けれど、この温かい場所にきて

温かい仲間と

笑顔と、キラキラしている日々の中で

 

過去の、わたしが

今のわたしの手を

なかなか離してくれない。

 

だんだんと不満になってきたとき

 

今の、わたしって、幸せなんじゃないかな?

 

その幸せを、感じていいんじゃないかな?

 

 

 

幸せを、感じる力が

ついてきた。

 

 

感じて、受け止めて、抱き締めて

未来に繋げる。

 

 

それが、ただ怖くて出来なかったのは、自分を許せなかったから。

 

キズつくのも、怖かったから。

 

助けを求める「力」

仲間を頼る「力」

自分を、許していく「力」

キズついても、癒される「力」

 

一つずつ「力」がついてきたときに

 

今の幸せを感じる「力」が

必ず、ついてくるのです。

 

そして、それを全部、自分のものにして、自分の魅力として

 

幸せと、思って生きていきたいのです。

 

フラワーガーデン

「一人じゃないよ」

ダウンロード

 

過去に生きるか

今を生きるか

未来を生きるか

 

選ぶことは、自由だと思います。

 

過去に、いじめられた経験があり

その苦しさが癒されていなければ

 

今を生きるのは、恐くて辛かったです。

 

過去に、失敗して、怒られた経験ばかりを思い出していれば

 

今に、何かを行動するのは、恐いです。

 

今を生きるのが、恐いと

未来に、明るいイメージが持てません。

 

今、行動が出来ないのは

未来を少し諦めているのかも。

 

 

過去、わたしをいじめた人たちは

今、わたしの目の前にはいません。

 

今の、わたしが出来るのは

いじめられて、傷ついた

恐かった、悔しかった

 

誰にも話せず、寂しかったことを

仲間に話すこと。

 

過去、失敗していても、新しい壁はやってきます。

 

今の、わたしが出来るのは

失敗と感じる気持ちの前に

一度は挑戦していた自分を褒めること。

 

 

仲間の中で

 

自分を傷つけてしまうこと

仲間を裏切ってしまうこと

 

自分は変われないと諦めそうになること

仲間を変えたくて仕方なくなってしまうこと

 

 

嫌いだったり

苦手だったり

 

遠ざけていたり

面倒になったり

 

・・・

家族の中で、社会で、学校で

作ってた笑顔や

 

感じないようにしていた心や

 

我慢していた涙も

 

 

 

ぜーんぶ出しきりましょう。

 

嫌いも

苦手も

恐いも

寂しいも

 

そして、感じきりましょう。

 

 

仲間は見守っててくれます。

暖かく、時には厳しく。

 

そして、そのベースは愛情。

 

ここに居れば

 

仲間の中で

 

自分を大切にすること。

仲間に感謝すること。

 

自分を愛すること。

仲間を愛すること。

 

わたしは、変われる。

周りの仲間が、変わっていっている。

 

 

「大丈夫」・・・と、言う言葉が

 

投げやりなものではなく

 

「わたしは、大丈夫なんだ」

と、仲間と一緒にいて、思えることが出来ました。

 

 

少し、関わることで、傷ついても大丈夫。

仲間に、助けを求められるから。

 

そして、その傷ついた気持ちを

素直に抱き締めてあげれる「力」は、ついてきます。

 

わたしたちは、一人じゃないから

「大丈夫」。

 

 

少しずつ、明るい未来を感じてきたら、「成長」した自分に気づくのかなと思います。

 

 

フラワーガーデン

「回復に必要な痛み」

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キズついてきたけれど

キズつけてしまったほうが多いんだ・・・

と、決めつけていて

けれど、自分は被害者のまま。

 

「家族が嫌なの」

「学校が嫌なの」

「友達が嫌なの」

「仲間が嫌なの」

 

周りが、社会が、世界が、宇宙が・・・

「みんな嫌なの」

 

わたしは、キズつけるだけの加害者だから

「こんなわたし」を、誰も愛してはくれないんだ。

 

神様にも、わたしは嫌われているんじゃないかなと、思ってる。

 

・・・でもさ

キズつくのが、嫌なのは、きっと、痛みを知っているから。

 

過去に

どこかで負ったキズが

まだ、全然カサブタにもなっていない状態で、ずーっとずーっと、

消毒もしないで放置中。

 

人との繋がりという「空気」に触れると

 

少し痛い。

 

・・・あぁ、もうやだ。

 

キズついたとき、痛いよ・・・って、泣いたかな?

 

キズついたとき、助けて・・・って、言えなかった。

 

キズついたとき

「もぅキズつきたくない」から

痛みを「無かったこと」にして

感覚は麻痺。

 

アディクションで、麻痺させてしまう。

 

けど

痛みは、時々顔を出してきて、少しの痛みでも、恐くて恐くて

 

「出てこないで!」と、周りのせい。

 

誰が、心の奥底で、泣いているのかな?

 

キズは、心の奥底で、どうなっているのかな?

 

人との繋がりという「空気」は、

痛みは伴うけれども・・・

カサブタは出来てくるんじゃないかな?

 

繋がりの空気は

暖かければ、暖かいほど

最初はとても痛くて

すぐに麻痺させようとしてしまう。

 

 

本当にキズつけてばかりいたから

 

キズを隠さなきゃいけないのかな?

 

隠したキズに、麻痺させている間も、気付かないうちに、大きい痛みが、どんどん上乗せされている。

 

 

きっと

 

「開いた」ら、暖かい空気に、たくさんさらされて

涙で、消毒して・・・

 

 

ハグして、カラッと笑えたら

 

カサブタになって、強くなった。

 

自分のキズも、強くなって

時々、顔を出しても

 

「大丈夫だよ」

「一人じゃないよ」

「みんなが、いるよ」

 

カサブタが、強くなったら

人との繋がりが、強くなって

 

カサブタが、剥がれたとき

 

新しい生き方

新しい価値観

 

新しい自分になっていました。

 

 

 

回復は、痛みを伴います。

 

けれど、その痛みは、安全な痛み。

 

わたしたちが、アディクションを使って麻痺させてきた、心の奥の痛みを、表側に出すのはとても大変なことです。

 

 

素直になる。

 

話してみる。

 

痛みに、名前をつけてあげる。

 

そして、それを大切に抱き締めてあげる。

 

一人じゃなく、始めは一緒に。

 

 

受け止める、受け入れるには、仲間が必要。

 

自分を癒すのは、自分だけれど

必ず、仲間が一緒にいます。

 

その痛みと共に

新しい生き方と

新しい価値観と

 

新しい自分で。

 

フラワーガーデン

ハル