「自由の意味」

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自分の、やりたいことも

自分の、好きなことも

 

自分の、行きたい場所も

自分の、時間も

 

全部、決めて良いのは自分なのに

 

いざ

「好きにしていいんだよ」

「やりたいこと、やってもいいんだよ」

 

と、言われると

 

目の前の「自由」の中に

 

不安と恐れの文字に

心は支配されて

 

「きっと、時間がないから出来ない」

「めんどくさいし、疲れるから、やらない」

「今のままでも自由だから、大丈夫」

 

と、何かしら生活のせいにして

「やらない理由」を話す。

 

その時、もう一人のわたしの心は

諦めと、妥協。

 

「やっぱり、わたしはダメな奴だな」と、頭の中で聞こえる。

 

・・・決めて来なかったからな。

今までは、誰かに「これをやってみて」と、言われた通りにしてきたから。

 

誰かに何かを決めてもらえれば

 

責任もとらなくていいし

嫌だったら、当たればよかった。

 

けど、薬や依存行為は

自分でやろうと思ってやっていた。

 

だから、その責任は自分が取っていくんだと、わかった。

 

その責任をとりながらも

楽しく、面白く

生き生きと生活していくには

 

アディクションじゃない

・・・自分でやりたかったこと。

自分が、好きなこと。

好きだったこと。

 

行ってみたい場所。

 

好きに使える時間。

 

アディクションを使わないで生きるには、回復の中に

 

楽しみや、喜びが必ず必要で

 

自分から歩いて、安全な場所を増やしていく。

 

それが

自分に刺激を与えてくれたり

新しい自分に出会えたり。

 

好きなこと

やりたかったことをしているときの

自分のこと、大好きだと思えました。

 

もっと、もっと、好きになっていきたいと思いました。

 

「自由」の捉え方。

 

わたしの「自由」は

わたしを大切にしていく時間でした。

 

フラワーガーデン

「感じること」

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いつも一人で感じていたこと。

 

悲しさ

孤独

不安

怖さ

緊張

 

周りに向けていたのも。

 

怒り

プライド

不正直

衝動

 

 

一人で感じていたものは

周りに知られてはいけないからと

 

装って

大丈夫、大丈夫と

生きてきました。

 

 

なんで、知られてはいけなかったのかな?

 

本当に、知られてはいけないことかな?

 

誰に、そんなこと言われたの?

 

 

・・・わたしが、わたしを

セーブしている感じ。

 

 

人の中にいて、感じるようになれたこと。

 

怒っている自分

悲しんで涙を流せる自分

プライドが高い自分

嘘つきな自分

 

人との比べたがる自分

緊張している自分

不安がたくさんある自分

 

 

そして、寂しがりやな自分

 

 

そして、全部、自分が感じているのに

・・・恥ずかしいと思う自分。

 

周りは、わかっているよ。

 

わたし以上に、わたしのことを

見ていてくれる。

 

そのわたしを

バカにしたり

哀れんだり

いじめたりしない。

 

そんな自分を嫌っていたのは

わたしだけ。

 

みんな、同じ部分を持っていて

そこが、一人一人、どんな風に

自分のことを、思えているか

 

大切にしているか

受け入れているか

認めているか

 

愛しているか・・・

 

ただ、その部分だけが、少し違っているだけ。

 

色んな自分がいること

・・・恥ずかしいことかな?

 

怒っている自分を

誰が、一番感じれる?

自分の涙の意味は

誰が、一番理解できる?

 

人との比べて苦しくなってしまうのは、誰だろう?

 

その自分を慰められるのは

 

自分しかいないんじゃないかな。

 

大丈夫、大丈夫の言葉は

嘘で、見栄を張っての

大丈夫じゃなくて

 

「ねぇ、もぅ安心して、自分の感じるままに、表現しても大丈夫だよ」

と、自分自身に伝えてあげよう。

 

それと同時に

 

喜び

楽しさ

ユーモア

幸せ

自信

勇気

暖かさ

意欲

笑顔

前向き

協力

感謝

共感

安心

安全

信頼

・・・きっと、もっとあるのだろうけど

 

これが、一人では感じれない

本当の、わたしが感じて生きていきたかったこと

 

 

フラワーガーデン

「ハート」

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そうじゃないんだけどな・・・

と、溜めて溜めて溜めて

気持ち悪い感覚を持ったまま
人と繋がる事なんて出来ないよね

「それはね、本当はね」と、言いたいのに

何で躊躇ってしまうんだろう

わたしが、誰かにそれをやったら
「否定された」と、思われてしまうのではないかなという不安。

・・・否定したのは、自分の心。
わたしが、一番優しくしてあげたい、自分自身を

一番、雑に扱ってしまう。
「わたしの気持ちはね・・・」と、改めて伝えたら

何か心の中の、空白が埋まった感じ。

自分の、欠けている部分が

わたしが、自分に正直になることで

一個一個

心のパズルが、はまっていく。

悲しいことも
楽しいことも

嬉しいことも
怒っていることも

否定しないでいたら

バラバラの心が

色んな色のピースで
ハート型の心になっていく。

脆くて、砕けそうになることもあるけれど

いつも、必死でかき集める。

自分の手で、パズルをはめていく。
自分の正直さで、自分を愛する。
わたしの心は
わたしが、作り出す。

フラワーガーデン

「いのち」

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わたしにとって

お母さんは

 

わたしの頭の中の

お母さん像でなければならなくて

 

わたしにとって

友達は

 

わたしの頭の中の

友達像でなければならなくて

 

わたしにとって

弟は

 

わたしの頭の中の

弟像でなければならなくて

 

 

 

その、わたしの頭の中でのイメージと

違った言葉が返ってくると

 

とても、怒った

 

悲しかった

傷付いた

 

勝手に

 

 

ただ、淋しかっただけなのに

 

 

わたしは

周りには「こう見えていなければならない」

と、思っていて

 

淋しいとか

泣くとか

 

甘えるとかをすることは

わたしの頭の中では禁止だった

 

だから

 

淋しいと言う友達を見て

泣いているお母さんを見て

甘える弟を見て

 

勝手に、悔しかった

 

 

心の底から

 

 

・・・いいな

と、感じていた。

 

 

弱味じゃないのにね

 

淋しいのも

涙するのも

甘えるのも

 

本当の気持ちなのに

 

誰かの気持ちも、行動も言動と

その人のものなのに

 

どうして、それを認められないのかな?

 

 

わたしが、わたしの

気持ちも、行動も、言動も

・・・嘘で表現しているからなのに。

 

 

周りに言われている

 

わたしは、わたしの頭の中の

わたしではなくて

 

わたしが、見せたくない

わたしにしか、見えていない

 

それなのに

見えている、わたしが

見せたくない部分を隠していることに

 

みんな心配していた

 

 

 

わたしが、わたしに優しくなくて

わたしは、周りに優しくなくて

 

誰かを、コントロールしたくて

 

なにを、そんなに恐いのかな

 

 

その人の個性は

わたしとの、繋がりを

無くすように、感じてしまっていたんだね

 

 

色んな個性があって

その人の、信念があって

 

その人の、人生のストーリーがあって

 

だから、生きていくのは

面白いんじゃないかな

 

 

たしかに

わたしは、生きてる

 

けど、今を活動的に

活きてる?

 

 

この瞬間は

活き活きと新鮮なもの

 

誰も、鮮度を落とそうとしていない

 

一秒まえの、わたしには、戻れない

 

過去も

相手も

 

コントロールは出来ない

 

淋しいのも

泣くのも

甘えるのも

 

鮮度が命

 

 

今を活き活き

生きるのは

 

 

命なんだね

 

フラワーガーデン 春

「小さな女の子」

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怒り

寂しさ

 

怒り

恐さ

 

怒り

甘え

 

怒り

もどかしさ

 

怒り

悔しさ

 

怒り

困惑

 

怒り

恥ずかしさ

 

怒り

疲れた

 

怒り

眠い

 

怒り

空腹

 

・・・満たされていなければ

発信していくことは、全て

 

怒り。

 

怒って、泣いて、物に当たって

誰かのせいにして

 

「寂しい?」なんて問いかけられたら

 

恥ずかしくて、更に

「怒る」。

 

 

泣いて、怒る。

 

子供だね。

わたしの中の、子供が

 

「寂しかったんだよ。」

と、ギューッと心臓のあたりを

掴んでくる。

 

 

この感覚、感じたくなくて

閉じ込めて、封じ込めて

蓋をして、埋める。

 

 

無かったことにして

何もなかったように

 

知らんぷり。

 

 

その子供が出てきそうになると

 

無理に笑って

周りにあわせて

 

口癖は

「大丈夫。」

 

 

・・・何が大丈夫?

 

無かったことに出来ているから?

 

別に一人でもいいから?

 

その、心に閉じ込めているわたしは

 

いま、いくつだろう?

 

幼い幼い

子供。

 

 

 

怒らなくても

誰も、その子を責めていない

 

誰も、わたしを責めていない

 

今は。

 

怒らなくても

誰も、その子をいじめていない

 

誰も、わたしをいじめていない

 

今も。

 

寂しい。

恐い。

甘えたい。

 

苦しかった。

悲しかった。

困っていた。

 

たくさん、言葉に出してあげよう。

 

たくさん、たくさん、言葉に出来るようになってきた。

 

そうしたら

 

楽しかった。

嬉しかった。

頼れた。

甘えれる。

相談できた。

聞けた。

 

乗り越えれた。

 

出来るようになってきた。

 

 

たまに

ギューッと、心臓あたりを掴む

小さな手は

 

「大丈夫じゃない。

 

でもね、もぅ一人じゃないよ。」

 

と、味方になった。

 

一番、側にいてくれた、わたし。

 

いつも、守ってくれていた、わたし。

 

わたしの、心の状態を知らせてくれる、一番の理解者。

 

そろそろ、わたしの今の表面の枠のサイズに、大きくなってきた。

 

ありがとう。

 

一緒に生きてきてくれてありがとう。

 

フラワーガーデン

「≒~nearly equal~」

「≒~nearly equal~」

 

目で見えるもの
言葉で話すもの
耳で聞こえるもの

それを

半分は、素直に
ありのままを見つめて
ありのままを語る
ありのままを
聞く

けれど、もう半分は
その裏側に何かを企んでいるんではないかと、探して

疑いの言葉を発して

相手の言葉には、歪んだものがあるはずと、聞き入れない

わたしの深いところにある
「壁」は

見えないけれど

いつもグラグラ揺れています。

どちらに倒れる事もなく
大きく、揺れて

極端なところもあります。

あの人の
やっていることを
素直に見れる日

素直に伝えれる日

聞ける日
受け入れられる日

けど
素直に見れない日

話したくない日

聞きたくない日
受け入れられない日

それは、全てわたしが
わたしの壁を乗り越えたくないという

反抗と防御

だから、とても不安定で
不完全

見えないからこそ

厚く、高く、かたい壁

飛び越えることもなく
飛び降りることも出来ず

向こう側の世界はどんなだろう?

壁の向こうに見えるのは

みんなが、頭を揃えて笑っている
みんな同じ平等の世界。
素直に見れないわたしは
誰かの
上にいるか
下になるか

攻撃的に返すか
沈黙するか

耳を塞ぐか
聞こえない振りをするか
または
聞いてる振りをするか

人との関係を
平等じゃなくしているのは

わたしの「壁」。

それなのに
求めてるのは

もぅ寂しさや孤独ではなく

暖かさと安心。

高いハードルのような壁は

案外、脆くて
けれど、何故か今は

その壁は透明で

暖かさと安心がある
平等な対等な関係の繋がりがある世界が見えている。
・・・

以外とシンプルなのかもしれません。

壁は、もしかしたら
ただの枠組みだけなのかもしれません。

暖かさと安心の世界から
笑い声が聞こえる。

それなら
もぅ、目をつむって

今立っている位置から
スッと、壁に向かって手を伸ばしたら

暖かく差し出された
誰かの手を握りました。

そこに生まれたのは
壁という、枠組みを超えた

安心感。

壁は、壁のようで
けれど、透明。
「窓」なんだな・・・と
思えました。
素直に覗けない日は
鍵をかけて

外で遊び回るみんなを、いじけて見ているわたし。

みんなの笑い声に
耳を塞いで
暴言と、悔しさと、悲しさをぶつぶつと言っているわたし。

その窓は、いつでも
自分の向こう側
内面の深いところが見える「窓」。

どちらの、わたしも写し出す
「鏡」のようでもあります。

素直に見れる日は
穏やかな顔。

口元も綻んで

仲間の話に耳を傾けている。

素直に見れない日は
その鏡に写る、わたしのことなんて見たくもない・・・

高い壁でも
鍵をかけている窓でも
見たくない鏡でも

向こう側も、自分

どちらの自分も、わたし。

無視をしないように

両方、気にかけてあげるのが
今のわたしたちに必要な

乗り越える
開く
写し出す

どちらの自分でも
選択できる権利はあります。

それは、自由。

どちらも、私達には
必要な部分。

なので
100%完璧じゃなくてもいい。

100%完璧でなければ、いけない。
そう思ってしまう「思考」が
壁を厚く、鍵を頑丈に、鏡は絶対に見ない・・・

そぅ考えさせてしまうのかな。

乗り越えられない
開けられない
写し出したくない
向こう側の世界のことを
考えることで、辛くなってしまうなら

思いきって
飛び越え
開け放ち
手を伸ばして、そして見つめて・・・
感じることで、喜びを経験していこうと思います。

 

フラワーガーデン

「マイ・ストーリ

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生きることは全部

わたしだけの物語です。

 

主役はわたし自身。

 

体感して、その日、その日を

楽しんで

 

やりたいことを見つけて

やっていけたら

 

過去に、生きることも

息をすることも

 

めんどうで、苦しくて

切なかった日々のわたし自身がいたことを

 

大切にしようと思えました。

 

あの苦しくてどうにもならずに過ごしていたわたし自身が

 

今、とても楽しく

未来も、幸せに生きたいと強く思えるようになった。

 

それは、その経験が一つのストーリーとなっているから。

 

そこから、学んで

何もない人生よりは

 

なんだか得したなと感じれます。

 

同じ経験をした仲間の話を聞いて

また、苦しさを感じること

 

その仲間の苦しさを感じれること

 

けれど、一人じゃないので

今は笑っていられること

 

笑えなかったのは、孤独だったから。

 

わたしたちは、アディクションや生きづらさを感じたことで、そこから、どんな形であれ

 

孤独ではないことに

気付いていくことが

新しい物語の始まりなのではないかと思います。

 

 

けれど、孤独でないことには

人とぶつかることも

怒られることも

 

嫌いになることも

憎むこともあると思います。

 

一人のほうが、楽だったと

人の輪を、抜けたくもなります。

 

 

今でも一人だったら、過去のわたしを大切にしようとは思えなかったし、その孤独のなかで過ごすことが当たり前でした。

 

寂しさにも、気付かなかったかもしれません。

 

でも、決して、過去のわたし自身は、今のわたしに、戻っておいでとは言っていません。

 

それは、今のわたしが

過去の寂しく孤独だったわたしを大切しているから。

 

人の輪の中だからこそ

仲間がいて

 

ぶつかる

怒る

喧嘩する

 

話し合う

真実の対話をする

 

気付いていく

 

わたし自身の人生の物語は

わたしが主役でいいけれど

 

一人ぼっちのストーリーでは

つまらない。

 

たくさんの人が出てくる

わたし自身の物語は

 

これからもっと幸せで厚みを増していきます。

 

フラワーガーデン 春

「大切」

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わたしの目の前にいる人は

 

みんな、大切な仲間です。

 

 

 

けれど、そう思えない日も

 

もちろんあります。

 

 

 

思えなかったら

 

思えなかったで

 

 

 

それでいいのではないかとも

 

考えるのですが

 

 

 

大切と思えていない

 

わたし自身は

 

 

 

ダメな人間なように感じて

 

 

 

無理矢理にでも

 

 

 

大切

 

大切と

 

 

 

思うように

 

 

 

取り繕って

 

 

 

無理に笑顔で

 

我慢していたら

 

 

 

わたしが、わたし自身を

 

大切に出来なくなっているなと思いました。

 

 

 

現実は

 

目の前で

 

 

 

何も恐いことや

 

嫌なことは起こっていないのに

 

 

 

仲間を大切に思えない日は

 

 

 

目の前にいる仲間を

 

妄想のなかで

 

 

 

わたし自身に

 

 

 

悪いことを

 

恐いことを

 

 

 

起こさせるような

 

 

 

大きなモンスターのように

 

描いてしまい

 

 

 

孤独になって

 

戦ってしまう日でした。

 

 

 

仲間は

 

一人として

 

 

 

わたし自身と

 

戦おうなんてしてなかったし

 

 

 

どんなわたし自身でも

 

静かに見守って待っててくれました。

 

 

 

 

 

 

 

・・・現実、いま、何か悪いことは起きているかな?

 

 

 

嫌なことは、いま、起きていることかな?

 

 

 

 

 

大切な仲間を

 

大切に思えない日。

 

 

 

わたし自身は

 

 

 

過去、現在、未来

 

 

 

何処を生きてる?

 

 

 

 

 

仲間の中に

 

過去を見つけ出して

 

 

 

わたし自身から

 

その闇に入っていってるような気がします。

 

 

 

 

 

目の前にいる仲間は

 

 

 

過去の闇には関係なく

 

過去のわたしの悲しさや

 

淋しさをあぶりだしてくれて

 

 

 

これからのわたし自身の人生に

 

とても必要な癒しと勇気をくれる人たち

 

 

 

 

 

仲間の中に居て感じる

 

淋しさや

 

悲しさは

 

 

 

過去に感じていた

 

淋しさと、悲しさ

 

 

 

 

 

目の前で泣いても

 

淋しいって言っても

 

 

 

誰も

 

わたし自身をバカにしたり

 

笑ったりする人はいない。

 

 

 

 

 

今の、わたしは

 

今を生きたいから

 

 

 

仲間とぶつかることも

 

仲間を大切に思えない日も

 

 

 

泣いて

 

怒って、悔しくて、悲しくて

 

 

 

 

 

淋しいって言えるまで

 

 

 

どれだけでも

 

 

 

待っててくれる。

 

 

 

 

 

だから

 

 

 

 

 

目の前にいる

 

みーんな

 

 

 

 

 

これからのわたし自身の回復に

 

とても必要な仲間なのです。

 

フラワーガーデン  春

 

「言葉と成長」

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自分には何が出来るかな?

など、考えたこともなく

 

出来ることなど、無いだろうなと思っていたので

 

過去に

 

好きなものは?

良いところは?

長所は?

 

良いところを探すのが苦手でした。

 

 

逆に

 

嫌いなところ

病気の部分

短所

は、すぐに出てくる。

 

 

その背景には

わたしはなにも出来ない。

なにもしたくない。

 

諦めと妥協がありました。

 

 

「何をやりたい?」

と、聞かれて、初めて

 

 

・・・何をやりたいのかな?

と、考えることが出来ました。

 

 

「やりたいこと」のイメージが出てきたら

 

どうやったら、出来るのかな?

と、次の課題があって

 

そこから、またイメージが出来ました。

 

 

「どうやったら、出来るのかな?」の問いかけに

 

・・・今、何ができるのかな?

 

と、初めて取り組むことが出来ました。

 

 

具体的に

 

 

と、言われると困るときもありました。

 

でも、今の自分には何ができるのかな?と、取り組みやすい順番をつけるだけのこと。

 

 

物事には、順番があります。

 

回復にも、プロセスがあります。

 

何かを組み立てるにも、協力と、努力も必要。

 

やり通すにも、継続する力と

意志も必要。

 

根性だけでは、つぶれてしまったなと思います。

 

 

ハードルをとても高く設定はしても

「飛べないなぁ」と諦めて、下をくぐっているような妥協じゃなく

 

 

「今は、何がしたいかな?」

「今は、どうやったら出来るのかな?」

 

そして

 

今なら、何が出来るのかな?

 

と、自分の成長に合わせて、自分に問いかける言葉も成長していきます。

 

 

過去の自分のままで良いはずがなくて

 

今なら、目を向けれること

今の、わたしなら出来ること

 

今の、自分なら、仲間がいて

一人じゃない

 

やりたいことも

出来ることも

 

 

発信していくのは自由。

 

最初は

 

これをやりたいけど・・・

 

・・・じゃ、どうしたらいいの?

と、素直じゃなく、ふて腐れていても

 

 

助けを求めるのも大切。

 

仲間の知恵を借りるのも、大きな大切さ。

 

聞いてみてよかった!

と、あとから心に響く日が必ず訪れます。

 

フラワーガーデン 春

 

「勇気のある声」

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「ここに居たくないな」

と、何度も思ったことはあります。

 

それは、家庭の中だったり

学校だったり

社会生活の中だったりと

自分が「安全」ではないと思う場所で思っていました。

 

その時に感じていた感情は

「不安」と「寂しさ」

 

表に出すのは「怒り」

 

そして「無関心」になる自分。

 

そこに、存在しなくてもいいと思っていたり

 

けど、逆に、認められたくて

もがいていたり。

 

 

今でも、朝目覚めた時に

「あぁ何だか今日は、仲間の中に行きたくないな」と、思うことはあります。

 

 

頭の中のセフルトークは

「誰かの声」で「自分」を攻撃し

 

「自分の声」で「誰か」を攻め続ける。

 

そして「ダメだった日」を

朝から頭の中で作り上げ

その通りに進むように、ダメな結果を追って一日を過ごす準備をする。

 

 

「ほら、やっぱりダメだった」

「こうなると、思っていたし」

 

その浮かんでくる声も、ずーっと頭の中で・・・誰の声なのだろう?

 

 

今まで、失敗はしてきたけれど

そんなに、ダメな人間だったのかな?

 

こんな声を掛けられたこと、あったかな?

 

 

あったのかもしれない。

 

遠い遠い、自分でも忘れてしまっている記憶の中に、あったのかもしれない。

 

けれど、それは過去に2.3回の少なさ。

 

でも、その少ない回数でも

自分自身は、とてもキズついて

立ち直れなくなりそうだったので

 

記憶を塗りつぶすように

お酒や薬で麻痺をさせてきた。

 

人の事をすることで、自分を見ないで済んできたのかもしれない。

 

感じないように、我慢もしてきた。

 

・・・フラッシュバックが、起きているんじゃないかな?

 

 

ある仲間のその言葉に

「そうなのかも」と、不意に落ちる瞬間がありました。

 

 

失敗を恐れたときに、誰かに言われた言葉が蘇って

 

何だか嫌な気分になる。

 

 

まだ、今日が始まってもいないのに、落ちそうな穴を見つめて前に進む。

 

そんな生き方をしてきたから

「10」のうち

「9」出来ているのに

失敗した、「1」だけが、自分の全てになっている。

 

 

「もったいないなぁ。」

 

 

今の、わたしならば、少しはそぅ思えるようになりました。

 

 

自分を責める声を聞きながらも

今の、わたしは

 

「そんなの、もったいないよ」

 

とも、聞こえてくる。

 

 

恐いなと、思いながらも

何かに挑戦したとき・・・

失敗しても、何だか大丈夫だなと思えたのは

「挑戦出来た自分」が、残っているから。

 

「勇気のある自分」が、居てくれるから。

 

 

乗り越えたとは

完成じゃなく、完璧じゃなく

 

その時に

 

とにかくやってみた!自分。

 

 

 

朝目覚めた時に

始まる、頭の中で作り上げるストーリーは

 

過去にどこかしらで経験した

嫌な思い出。

 

「今日を生きよう」

今に目覚める、朝の声かけ。

 

そして

「今日も生かされた」

今に感謝し、寝る前の声かけ。

 

 

誰も、わたしにネガティブな声かけはしていない。

 

それが、真実。

 

ネガティブな声かけをしてくるのは

 

過去のフラッシュバック。

 

 

「今日が、不安なんだね。」

「けど、大丈夫。」

「だって、みんながいるし、出来るんだよ。」

 

不思議と、勇気のある自分の声は

いつも幼く感じます。

 

 

いつの間にか、勇気のある

自分の内面と繋がろうとしているわたし自身がいました。

 

フラワーガーデン 春